HEAD OF THE SETA参戦記

古川幸喜(和歌山RC)

去る11月8日、9日の二日間の日程で開催されたヘッドオブザ瀬田の11月8日に開催された1×Over30歳クラスに出場しました。

ご存知の方も多いかと思われますが、このレースは滋賀県の琵琶湖の南端に位置する瀬田川で開催され国道1号下をスタートして南郷の堰の手前まで下り、折り返し再び国道まで登る総距離8000mのロングレースです。コースは途中、唐橋、新幹線、名神高速、京滋バイパスの橋げたがあり、右に左に曲がりくねった複雑なコースです。

1×のエントリー人数は軽く百人を超えます。なかでもナショナルチーム選考トライアルレースもあり、こちらは代表合宿召集をかけて70人以上がエントリーし、白熱のレースを展開します。

僕は普段から週2回ペースで岡崎君(以下Qと呼びます。)にハンディをもらって一緒に長い距離を漕いでいたので、レースに出るにあたってはタイムは関係なしに十分完漕できる自身があったことと、Qから熱烈に誘われたので仕事の休みを調整して出てみることにしました。いわば1×に乗り始めてから丸1年になった総決算的レースになりました。

レースの前の週の土曜日夕方くらいからどうも喉の調子がおかしくなり、日曜日には仕事に行く前に朝10キロほどSR22で漕ぐも体が重く精彩を欠きまくりQに大差をつけられた。それがたたって声が出にくくなるほどに喉が痛くなった中、仕事をして更に悪化。月曜日は仕事は休みだったが祝日のため病院には行けず、火曜日に病院に行き、強引に注射を打ってもらい、薬を4日分処方してもらって一日安静にして体調の回復に努めました。おかげで体調がかなり回復し水曜日にとりあえず普段より少なめに乗艇して金曜日に備えました。

それにしても前回の大阪レガッタのときもそうだったけど、レース前に風邪をひくのは油断している証拠だと反省しきりです。

11月7日(金)

家を出発し、途中Q宅に立ち寄り、彼を乗せ、7時半頃2人で和歌山を出発していざ大津へ。

途中の近畿自動車道で予想以上の渋滞に巻き込まれ、そこを通過するのに少々てこずったものの名神はスムーズに流れていたので10時に瀬田ローに無事到着。

瀬田ローはとても大きなクラブハウスで4S(整理 整頓 清潔 清掃)が徹底されており、備品は完璧に整備され、またたくさんの艇が所狭しと収納されている光景に驚きました。

今回僕は瀬田ローの坂本剛健さん所有のフィリッピをお借りしてのレースになります。

旅の疲れは全くなかったので休憩も程々に早速リギング開始。Qに手伝ってもらい、スパン、外傾角、カバー角、ハイト、ワークスルー、ピン→ヒール、ストレッチャー角、ヒールデプスetcを計るも、殆ど自分好みの状態だったので、ピン→ヒール、ハイト、カバー角を変更するだけで済み、20分程度で終了。そのままQと2人蹴り出した。フィリッピは普段漕いでいる木艇とは違い、とっても軽く、艇が勝手に進んでいってくれる感じで漕ぎやすかった。

瀬田ロー艇庫から琵琶湖へは狭い川を抜けていきます。しかも途中少し曲がったところや浅瀬もあり、100m程度の短い距離とはいえ、初めてのうえに借り物の艇ということで、慎重に漕いでいった。

川を抜け出たところは、琵琶湖漕艇場のコースの発艇場付近で、ここには実に10年ぶりくらいに来たものの、当時と全く変わらないコースの景色は、はっきりと記憶していた。

コース内には、カナディアンシングル3艇と我々2人以外は誰もいず、まさに貸し切り状態。しかも快晴で無風。気温は25℃以上という良好なコンディションの中いざ漕ぎ出した。艇は軽いのだが、Sサイドがファイナル手前で浮き上がり、艇が傾く。しかししばらく漕いでいくうちにいくらかマシになっていった。それ以外ではハイトやヒールデプスに大きな問題はなく、午前中はコースを1往復と500mまでの1往復で終了。気温が高かった影響か、かなり汗をかいていた。

艇を上げ、クラッチのブッシュを4−4から5−3に変更した。これで夕方の乗艇時にはファイナルの問題が解決されるだろうという期待を込めてひとまず艇を片付けた。とってもおなかがすいていた。

昼食は、Qの案内で近くのラーメン店へ。チャンポンと御飯を注文。ほどなくしてチャンポンと御飯が運ばれてきたのでとりあえず御飯から食べた。「ウマイ!」とにかく美味しかった。美味しいお米というものはこんなに甘くて美味しいものなのかと感動した。あまりの美味しさについつい箸が進み気が付くとチャンポンそっちのけで御飯だけをお茶碗の半分近くパクパクと食べていた。もちろんボリューム満点のチャンポンもとても美味しかった。

昼食を終え、夕方の16時からの練習まで時間があるので、とりあえず宿へ荷物を下ろしに行くことにした。

今回宿泊する宿は、瀬田川沿いで名神と京滋バイパスの中間付近、石山寺の麓に位置する「月乃家」です。

漕艇場や瀬田ローからはさほど遠くはないものの、漕艇場周辺の道路は、南行きが1日中自然渋滞で、今回も日中にもかかわらず宿まで20分以上掛かってしまった。加えて国道1号上に表示されている気温計は14時ごろ、28℃を示していた。夏日です。オイオイ、もう11月中旬やで。

話を戻しますと、月乃家にて案内された部屋は、瀬田川を見渡せる12帖の広ーい和室で、道路を通る車の音が少々気になる以外はゆったりくつろげる落ち着いた部屋だった。

しばらくのんびりしてから夕方の乗艇に向けて再び瀬田ロー艇庫へ。夕方の乗艇ではとりあえず国道→南郷洗堰を通してみることにしました。

16時前、再びQと2人で蹴り出した。漕艇場の発艇場付近から500m地点付近にかけては北西の風が吹き、少し波があった。この斜め方向からの波になかなかなじめずしばらくはフラフラとバランスの悪い状態が続いたが、次第に艇も安定してきた。午前の乗艇後に行ったブッシュの変更もどうやら良い方向に出たみたいだ。

JRの鉄橋から下へは、かつて行ったことがないので内心ワクワクしていた。とりあえず国道下まで行き、Qに簡単にコースの説明をしてもらい、コースのセンターを割らないようにとの指摘を受け、いざ出発。コンディションは漕艇場付近と違って良好。川面から見た「あみ定」や、瀬田の唐橋、各大学の艇庫etcそれら全てが新鮮に映りとても心地よかった。とにかく名神までの直線区間は左右の景色を眺めながら漕いでいたので僕よりかなり遅れてスタートしたはずのQとの差があっという間に縮まってしまった。そこから先は後方に注意を払いながらどんどん漕ぎ進んでいった。

途中セーヌ不動産付近でQに追いつかれたのでコース取りを見たかったので先行してもらって後を追いかけようと思ったものの、上手く後を追うことができず、後方を確認しつつ、悪戦苦闘しながらなんとか無事に南郷洗堰にたどり着いた。コース途中の京滋バイパスから下の右へ左へと曲がりくねったセクションは当然頭に入ってるわけもなく、やたら距離だけは長く感じられた。

下りだけで結構疲れたので、ぼちぼち引き返す旨をQに告げたところ、Qは短漕を入れながら帰るというので、僕もそれに合わせることにした。

SR27を10本、SR30を10本とやっていくうちにフィリッピの漕ぎやすさと安定感、それに波を切るスピード感がたまらなく心地よく面白くなっていった。気が付けばSR35で余裕をもって漕げるようになっているし。パドルでの漕ぎ始めから3本くらいでトップスピードに乗ってくると、エントリー→ドライブ→ファイナルという一連の動作の後、次のドライブに向けてのリカバリーはリラックスしていれば艇が勝手にリセットしてくれるという感じ、いわゆるブレードを支点にした動きという感触は今まで味わったことが無かったので気持ちよかった。良い艇に乗れというのはこういうふうに艇に育ててもらうということの意味だったのかと再認識した。そんなこんなで途中Qからコース取りをアドバイスしてもらいながら(あまり頭に入らなかったが)1時間あまりの乗艇を終え、艇庫へ帰った。上りでの短漕が効いたのか、かなりへばっていた。

艇庫には瀬田ローの毎日練習組が続々やってきてかなり賑やかになっていた。

艇を洗い、片付けて着替えを済ませてから、瀬田ローの今次氏の指示の元、明日コースを上り下りに分ける為にコースを川の真ん中で仕切る為のブイを製作する作業を手伝った。

瀬田ローの毎日練習組は、高校生や大学生を中心にした若い世代ばかりで、明るく、作業中もウッチ(内田君)が盛り上げ、更に今次さんの下ネタに大爆笑しながらも着々と作業は進み、本当にこの連中が明日のトライアルやチャンピオンシップに出るのか?と疑うほどリラックスした様子にあっけに取られてしまった。

我々は19時に宿での食事を頼んであったので、1時間ちょっと作業を手伝ったところで打ち切り、残りの作業を他の人に託し宿へ戻った。

月乃家に戻って夕食。和風のおかずが数品と御飯。傍らに置かれてあった炊飯器のフタを開けてみてびっくり!いったい誰が食うねん?と言わんばかりに3合炊きの炊飯器に目いっぱいの御飯が入っていた。

たくさん漕ぎ、加えて労働もした後の御飯は美味しく、ついつい箸が進み、なんだかんだ言いながらも3合の御飯も含めて2人で完食してしまった。

普段のレースでは僕はいつもCOXなので、遠征先でこんなにたらふく食べたのは初めてだった。

その後部屋に戻りしばらくのんびりしてから風呂へ。大きなお風呂は貸し切り状態だったのでゆっくり足を伸ばして入ることが出来た。

翌朝は、6時起床、7時蹴り出し予定なので、早めに寝ることに。僕は車の音が気になったので耳栓をした。Qは部屋の明かりを落としてテレビを観ていたが、僕はQがテレビを消した瞬間に既に意識は無く爆睡モードに入っていた。

ところがしばらくして突然咳が止まらなくなり、しばらく咳き込んだ。しかし体は寝ているので

起きられない。しばらくして咳も落ち着き再び深い眠りに入った。

11月8日(土)

予定通り6時に起床。夜中何度か咳き込んでいたものの耳栓をしていたのでどれほどだったのかは定かではなかった。ただ8時間以上眠れたので昨日の疲れも取れている様子。

とりあえずQに咳き込んだことを謝っておいたところ、どうも夜中3時頃に咳き込んだのに驚いて飛び起きたらしい。Qよ申し訳ない。しかしながら彼も快調そうだ。

部屋の窓を開けてみると、すぐ目の前に見えるはずの瀬田川は霧が掛かって全く見えない。この様子なら7時に蹴り出しても瀬田川を下ることは出来ないだろうと思いつつも、日が昇ってくれば霧も晴れるであろうことを祈って6時半に出発することに。

外に出てみるとRX‐8が駐車していた。そういえば昨日旅館の入り口に「歓迎 大林様」の札が上がっていたっけ。まさかナショナルチームのコーチがこんな離れたところに泊まるわけはないと思っていたのだが、いつしかのBL誌面で森下氏と大林氏の「エイト」に関するやりとりが掲載されていたのを思い出した。本人に間違いない。目の前でこの車を見たのは今回が初めてだったが、カッコよかった。

瀬田ローに到着して準備をしていたが、先に蹴り出していた連中がさっさと帰ってくる。どうも霧がひどくて練習どころじゃないようだ。しかもヘッドのコースにブイを張ることも出来ないようだし。

しかし、そのうち艇庫にはどんどん人が集まりだし、ゴーケン氏や京さんもやってきて、初対面の挨拶を交わした。

霧が晴れるのを待つ間、ゴーケンさん、ウッチ、Q、タマ(玉川さん)といった面々としばらく雑談をして時間をつぶしたが、霧がスカッと晴れる気配は無く、川下は諦めて、漕艇場を漕ぐことに変更して8時過ぎに蹴り出した。

琵琶湖に出ると、コースもうっすら霧が掛かっており、JRの鉄橋と国道がかろうじて見えたり、時々霧に隠れたりといった状況。水面は穏やかだが、体の方は重く動かない。Qはテンポ良く漕いでいってしまうし、それに着いて行こうものならすぐにバテてしまう気がしたので、強度を落として単独で漕いでいった。

しかしながら、単独で漕いでいるのもつまらないし、僕から500mあまり遅れてタマが来ているので、彼女なら僕と同レベルの力だろうからちょうど良い練習相手になるだろうと思い、途中思いっきり流したり、折り返しで少し休んだりして追いついてくるのを待ってみたものの、追いついてくる気配無し。仕方が無いので諦めて単独で漕ぎつづけることに決めた。

コース3往復目に強度を上げてSR22~23で1000mを試してみたところ4分19秒。決して速くはないが両足でしっかり蹴れて艇も真っ直ぐ進んでいる。いい感じだ。(僕的にですけど。)

結局1時間の乗艇でコースを5往復した。3往復を終えた頃には霧も随分晴れて、名神付近まで見える状態になっていた。

乗艇を終え艇庫に戻ると、胸がムカムカして少し気持ち悪い。3往復目に頑張ったのが効いたみたい。

ヤバイ。Qにあわせてるからついつい漕ぎすぎてしまった。しかしレースまでは時間がたっぷりあるからなんとか回復するだろう。それよりも川を下ってのコース下見が出来なかったことが痛かった。

ひとまず艇を水洗いして片付けてから再び月乃家に戻りシャワーしてからチェックアウト。

月乃家は琵琶湖で合宿を考えている方には是非お勧めの宿です。コスト的にも満足だった。腹いっぱい食べられたし。

その後車で移動してHeadの受付に行くことに。Qは受付場所を京大艇庫前と思い込んでいて、新幹線の高架下に駐車して歩いて艇庫へ向かった。武田大作氏が朱色のChinaと思われる艇を拭いていた。アレレ?彼はフィリッピじゃなかったっけ?

そんなことはさておき京大前には人がいない。そこで間違いに気づき、正しい受付場所のアーブ滋賀に移動。着いた頃には受け付け待ちの長い列が出来ていた。受け付けを済ませる。僕は78番で15時05分スタート。79番には松本さん(松江RC)が入っている。島根の皆さんは受付後すぐに駐車場に止めてあるトラックから艇を降ろす作業にかかっていた。結構ハードスケジュールっぽく感じた。それを横目にその場を去る。

昼食はQが時間的余裕がさほどなかったのでコンビニのパスタ&おにぎりで済ませることにする。艇庫2階のダイニングテーブルで和歌山(田辺)からQの応援に駆けつけた田辺高校OBの先輩後輩を交えて和歌山弁が飛び交う談笑のひとときを過ごし、簡単に昼食を済ませた。

トライアルに出る連中にとってはちょうど発艇2時間前ぐらい。国体で言えば監視が始まる時間帯。ちょうどテンションがレースモードに入ってくる頃だ。

特にウッチの豹変ぶりには驚いた。昨日から今朝にかけてのチャラけたキャラクターはどこかへ行ってしまい、人を寄せ付けようとしない独特のオーラを発して鋭い眼光でうつむき加減に座り1人の世界に入っていた。

やがてトライアルに出るQ、シーマン(嶋田君)、ウッチが順に蹴り出して行った。女子トライアルに出る黄瀬さん、徳永さんも蹴り出して行き、艇庫は徐々に閑散としていく。

その後、Championshipに出る高校生トリオのアオ(青地)、相馬、駒村が出ていく時間帯が来た。

瀬田ロー主催の大会ということで関係者は皆出払っており、蹴り出しの際エールを送ってくれる人が誰もいない。せめてもということで僕は彼らが桟橋まで艇を運ぶのを補助して、写真をとって送り出してやった。(駒村君は少し遅れて出ていったので写真を撮れなかったけど・・・。)相馬の笑顔は特に印象的だった。逆に青地に関しては、どこにでもいる普通の高校生という感じがして、こいつが強いということをどうしても受け入れられないほど不自然な奴だった。(ゴメンな・・・。)

若い衆が皆出ていき、艇庫に残ったのは中年ばかりになり、のんびりムードが漂う。そんな中で、京さん(美浜ローイングクラブ)、福士さん(三洋電機群馬)、古川社長といった面々でしばしのときを過ごした。和やかな昼下がりの雰囲気の中盛り上がった話は、『自分の死に方』についてだった。古川社長いわく、現在をローイングに例えると、ブレードをエントリーして、ミドル→ファイナルに差しかかろうとしているところにいるから、これが、クリーンフィニッシュで終わるか切れ込むか、ボコッと浮き上がるかということになる。願わくはクリーンフィニッシュで終わりたいものだということだ。親父がそうだったようにという話。聞き入ってしまった。その年代になるとそういうことも考えるのですね?と質問したところ、三十路の君らにはピンと来ないかもしれないが、我々にとって『死』ということは現実問題になってくるということらしい。しかしながらHeadに出る社長を含め、三菱ボートクラブの方々にとってはあと30年以上縁のない話ではないかと思われてならなかった。

そういう話をしているかと思えば、何気なく京さんが振った『田中隆雄さん(三洋電機)』の話になり、社長いわく『彼もそろそろ下降線をたどる頃だからいずれシンクロする時期が来る』という話に。勝つつもりでいるらしい。やはり根っからの勝負師である。本当に凄い世界の人たちの会話に入り込んでいることを実感した。

その後、船橋さんが瀬田ロー艇庫にいたらしく、和歌山のローイングスーツ姿の僕を見つけて挨拶してくれた。初対面ながら以前お会いしたことがあるような不思議な感じがした。とても背が高く、俳優の筒井道隆似の好青年という印象だった。9日の8+のレースにトリプルから出漕するとのことだ。OBCのメーリングリストから仕事が超多忙で練習時間が取れないということを知ってはいたが、今思えば、前日から琵琶湖入りしてくるあたり、彼も相当なボートマニアとみた。

蹴り出しの前に体重を計ってみた。57.8kg、体脂肪15%、うわっ軽い。昨日からあんなに食いまくったのに国体の時並みの軽い体重。運動量が相当多いとみた。体が良く動くからよしとしよう。朝野乗艇後の気持ち悪かったのもすっかり良くなってるし。

やがて発艇時刻も徐々に近づき発艇40分前ぐらいに蹴り出した。エントリーリストから推測して、30歳台では恐らく一番遅いだろうと見積もっていたので、プレッシャーなどあるはずもなく、緊張も皆無に等しかった。

艇庫前の水路を抜け、琵琶湖に出ると、漕艇場のコースはカヌーが貸し切りになっていて入れない。おまけにトライアルに出た選手がボチボチゴールして帰ってきつつある。『いったい何処を漕いでスタート地点に行けばいいの?』わからない。わからないから京さんが艇庫から出て来るのを待つことに。京さんが出てきたので、福士さん、勝野さん(美浜ローイングクラブ)とくっついてスタート地点に向かう。途中強く漕いでみたりしているうちにあっさりJR付近まで辿り着いてしまい、もう少しアップしたいが艇が密集していて漕げる状態じゃなかったので再び少し折り返して漕ぎ、発艇10分前にJRと国道の間で待機。この付近は特に艇がごったがえしている。発艇を待つ艇とレースを終えて帰ってくる艇あわせて数十艇の1×が密集している異様な光景だ。仮に小沢さんが(小沢さんに限らずボート関係者が)真上を通るJRの電車に乗っていてこの光景を目の当たりにしたら間違いなく興奮して電車の窓にかじり付いていたんじゃないだろうか。

60番代のゼッケンの連中が次々とコールされてスタートを切っていく。そして周りにいる人たちとエールを送りあい、いよいよ70番代がコールされる。先に出た人たちのスタートの様子を観る間もなく78番、僕がコールされてスタートした。

SRは24。体は朝と違いよく動く。テンポ良く漕げているが、水中はセーブしている。長いレースになるだけに初っ端から水中を強く漕ぐ自信はない。スタート後まもなく僕の次にスタートした♯79松本さん(松江RC)が凄まじい勢いでグングン近づいてくる。全くなすすべなく唐橋手前で追い付かれる。ちょうどその頃、唐橋をくぐったすぐ左脇にある船台から『松本ガンバレー!』の大声援が届き、ふとそちらをみると、数人がかたまって声援を送り、少し離れたところに武田氏の姿も見える。そこであっという間に抜き去られてしまう。艇速がまるで違う。僕は明らかにクルージング状態だ。まあいいや。しばらくは景色を眺めたり後方に気を配りながら単独で漕いだ。途中Championshipに出ている♯12相馬とそれを追いかける♯13アオとすれ違い、声をかけてやった。アオには恐らく聞えたはずだ。

京滋バイパス付近で僕の前に発艇した♯77勝野さん(美浜ローイングクラブ)を捉えそうなところにいることに気づく。俄然やる気が沸き、ストロークに力強さが出る。SR24をキープして、水中強くで並びかけた。しばらく並漕したが、少しずつ前に出て水をあけることができた。しかし、※1 ♯150内藤さん(三洋電機滋賀)が迫ってきて並漕状態に。少しの抵抗を試みたが、中央寄りにコースを外してしまい、コースを戻すうちに大きく水をあけられてしまう。

コースの後半セクション(京滋バイパスから下)は初心者にはコース取りが難しい。途中上り下りを分けるセンターのブイをまたぎそうになりマイクで注意をうけたり蛇行したりしたが、しばらくして南郷の折り返し地点にたどり着いた。HRは京滋バイパス手前ぐらいからずっと180を超えていた。スタートからの10分くらいは置いといてまずまず力は出せたというところか。

折り返し地点に着いて艇を上り方向に転回しているとき、早くも♯83矢地さん(中国電力)が飛び込んできた。やはり速い。僕の前に折り返し地点に到着している♯150内藤さん(三洋電機滋賀)は後半戦の上りにむけて出る気配をみせない。『2分を超過するんちゃうん?』と思いつつも他人の気遣いをしている余裕などなく、ササっと汗をぬぐい、お茶を飲んで1分半に満たない休息で上りのスタートをきった。

漕ぎ出して最初の10本ぐらいは体がかなり重たかった。矢地さん、内藤さんに抜かれたくないとの思いから早い目にスタートを切ったつもりだが、矢地さんも短い休息でスタートしてくる。まるで下りでの松本さんの分身を見ているかのごとく、これまたアッというまに追い付いてくる。矢地さんが3艇身差まで迫ってきた時、矢地さんは、リカバリーの際、Sサイドのオールを工事用の黄色いブイにおもいっきりぶつけ、一瞬失速したが、フッと苦笑いした後再びガンガン追い上げてくる。その頃僕のHRは再び180を超えていたが、矢地さんは僕よりもっと荒々しい息遣いで漕ぎ続けている。ただ、コースを熟知している風でもなく蛇行してはいたが、(僕が邪魔だったからかも?)それでも1ストロークに付き50cmあまり僕よりも速い艇速で進み、追い抜いてやがて視界から消えていった。

京滋バイパスを越えた頃、♯150内藤さんが迫ってくる。これまたあっさり追い付かれてしまった。1艇身あまり先行されたが、僕も体が良く動いていた。HRは184。水中を上げてみた。すると差が再びつまりだし、再び横に並べそうな所まで挽回した。気を抜かずに水中強度をキープしたまま横に並びかけるが、その並びかけた後の進行方向がずれていたので気がつけばコース中央で上り下りを仕切るブイめがけて突き進んでいた。そういえばこの付近は昨日Qが『水草のキワ、インサイドをキープ!』と教えてくれていた地点だということをすっかり忘れていた。コースを修正している間に大きく水を開けられてしまった。良いリズムで漕げていたポイントだけにもったいなかった。

その付近から後、名神あたりまでは体的にとてもキツかった。やがて名神を通過する。残り1000mといったところかな。と勝手に思い込んでいた。水中を上げてやろうとSRを26にアップ。その状態で唐橋を通過した。体は悲鳴をあげそうにキツい。HRは189。しかしあと2分程度だろうと勝手に思い込み、国道1号のゴールに向かってSRを27~28にアップ。ここからが地獄だった。2分漕いだが国道はまだ彼方。しまった!距離感がぜんぜん違う。しかも岸寄りにコースを外しているみたいだし。気を抜けば簡単に失速してしまいそうな状態だ。

方向を修正して国道のゴールを目指してラスト踏ん張った。そして無事ゴール。ほっとした。完漕できた。実に長く苦しい道のりだった。しかし爽快な気分だった。そしてその1分ぐらい後に、♯85山本さん(瀬田ロー京都)、♯82福士さんがゴール。

ゴール付近にいる人々と挨拶を交わし、1.5km上流にある瀬田ロー艇庫へ福士さんと帰ることに。

京さんは、矢地さんと何か長々と話し込んでいた。

1.5kmを回漕して艇庫に到着した。トライアルに出たQは、強行日程で本日18時から仕事があるといっていたので田辺から応援にきた連中と先に和歌山へ帰って既にいなかった。

京さんは『エリックは速かった。矢地さんも速かったし。ラストはSR30くらいまで上げたんだけど・・・。』と言っていた。福士さんは、『上りの終盤で追い付くつもりだったけど』と言っていた。そして50歳台、60歳台、70歳台の方々も続々帰ってくる。しかも皆ニコニコと笑顔で帰ってきては、レース後の力を出し切った爽快感でいっぱいという感じだった。

艇を水洗いして、京さんに手伝ってもらって片付け、他の艇も片付き、艇庫前が閑散となってゆき、あたりも少しずつ薄暗くなりかけてきた頃、最終の1×、高村さん(三菱ボートクラブ)の黄色い桑野艇が帰ってきた。桟橋に接岸する僕だけしかいなかったので急いで桟橋へ行き、Sサイドのオールを引っ張ってリガーを押さえた。『ありがとうございます』と一言行っていただいて艇から降りた後のあの爽快感でいっぱいと言わんばかりの表情は印象的だった。僕は初めてお会いしたのですが、(と言っても瀬田ローの艇庫でお会いした殆どの人が初対面でしたが)マスターズの世界選手権でメダルを獲るほど有名な方らしく、東京から来られたそうで、ボートが好きでたまらないみたいだった。昼前艇庫にやってきた時は片手に1mくらいの大きさのミニチュアオールを持っていたし。

三宅さんなんかも『石山の紅葉は実に素晴らしかった』と満足げに話してくださいました。

日も暮れ、艇が片付けられ、艇庫前にはウマだけが並んだ状態になり、レース後の独特の雰囲気を醸し出していた。それらも倉庫に片付けてしまった後、京さんが艇庫正面から見て右側奥の最上段に眠っている木製の2×を降ろすのを手伝ってほしいと言ってきたので快諾した。アームを使って慎重に降ろし外へ運び出すも、ホコリまみれでかなり汚れている。しかもバウ&スターンのキャンバスがスヌーピーの柄に張り替えられている。その昔、渡部さんと中井さんの手で張り替えられたらしい。艇は水洗いするだけですぐ綺麗になったが、シートが2つとも付いていない。艇庫内トイレの横の洗濯機の上の方にしまわれている収納BOXを降ろしてそれらしきシートを物色してはレールに乗せてみるがどれもこれも合わない。色々試して合うものがないので諦めかけていた頃、今度は艇庫正面から向かって右手前のクラッチパーツを収納しているケースの横の収納BOXにもシートが入っているのを見つけ再び物色。そして見つかった。

京さんは、島田さんとのコンビで明日の2×に出るとのこと。お祭り気分といったところか。うらやましい。

京さんが懇親会に行きませんか?と誘ってくださったが、実は行きたくて仕方なかったものの、行くと帰りも遅くなりすぎ、家族に無理を言って2日も家を空けてきた手前帰らざるを得なかった。

帰る頃には殆どの人が懇親会に行っていたので艇庫内事務室には2人しか残っていなかった。お礼の挨拶を済ませて帰宅の途に就く。

こうして充実の二日間は終わりました。

※1内藤さんに関してはレース中どこのクラブのどういう人であるか知らなかったが、後に三洋電機滋賀から全日本クラスの大会にも出ている人と知りました。

あとがき

後日瀬田ローのHPに公式記録が掲載された。僕のタイムは京さんの20秒落ちだ。但し、京さんと比較して下りは50秒遅く、上りは30秒速いタイムだった。このことからみて前半もう少ししっかり漕いでおけば36分台に入っていたに違いないというところか。

それにしても40歳台、50歳台の方々でもとてつもなく速い人が多い。それはさておき、もし来年また出られるなら36分台を狙いたい。

更に後日、今度は写真が掲載されていた。京さん、福士さん、勝野さん、矢地さんといった僕の前後で漕いでいた人がみんな写っている。しかし残念ながら僕はなかった。写真から判ったことは、京さんと矢地さんが終盤激しい競り合いをしていたということだ。

京さんには特にお世話になりました。ご存知の方も多いと思われますが、背も高いし声も大きい。そして何より人を寄せ付ける独特のオーラみたいなものを持っているすばらしい人でした。

松江の松本さんに関しては、OBCのメーリングリストにオータムに出るという書き込みがあったので瀬田での件とオータム必勝を兼ねて勝手にメールを送らせていただきました。すると、とても丁重な返信文をいただき、その返信文によると、普段島根では矢地さんにへこまされっぱなしだが、瀬田で勝てたのがとても嬉しかったみたいです。しかし僕が思うにはその裏を返せば、大変なことをしてしまったのかもしれない。負けて矢地さんが黙ってるわけがない。つまりリベンジを賭けた冬季の戦いがあるに違いないと思う。

Qは、島根大学の松田君と大接戦になったと言っていた。松田君は先の大阪レガッタで凄く速かったし、国体にも出ているのでQに松田君の存在をそれとなく話はしてあったのでかなり意識はしていたようだ。スタート順も松田君の次がQという絶妙なポジションだ。下りでは松田君が先に出て、23秒遅れてQがスタートし若干差を詰めて下りのゴールをしている。上りではQの直前で松田君がスタートを切り、すかさずQも後を追い、途中ずっと並漕状態が続き最終的にQが勝ったものの苦しいレースだったようだ。

Qは、松田君は今後もっとも厄介な存在になるに違いないとライバル意識を強め、かなり警戒しています。

僕は、2日間の4モーションでRestも含めて30数キロを漕いだ。こんなに漕いだのは当然ながら生まれて初めてだし、まるで合宿に来た気分だった。他水域で漕ぐという新鮮味も存分に味わえてよかったと思う。

普段の練習で使っている木艇と違い、漕ぎやすい艇でたくさん漕げたことと、ロングレースに出たことは大きなプラスになったし、ボートを漕ぐという面で一皮むけたことを確信できた。COXとして瀬田川を下ってみるのもトリッキーなコースなのでとても興味がある。そして来年もまた是非出てみたいと思いました。

和歌山から滋賀へは高速を使えば2時間もすれば行けることがわかった。つまりその気になれば多少の交通費がかかるものの、いつでもいける場所だということです。

最後になりましたが、1×を提供してくださったゴーケンさん、瀬田ロー、そして全ての段取りをしてくれたQにあらためて感謝します。

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