マシンローイング大会 ジイジイの挑戦

古川宗寿

昨秋の10月3日の琵琶湖レガッタでは誕生日が4日なのを一日まけていただいて60歳以上に出場して金メダルを頂戴した。実は誰にも了解を取った訳でもなくまあ、一日や、堪忍してくれるやろ。と決めて勝手に60歳以上にエントリーしたのです・・・。ごめんなさい。

要するに私はその日を境に文句なしのジイジイ(爺々)になって還暦なのです。還暦ジイジイのエルゴ大会前2ヶ月間の挑戦記録です。

丁度20年前の40歳の直前の奈良国体決勝レースのきつかったことは今も思い出します。そのあとにこのまま老いぼれてたまるか。と一念発起してサブ・スリー(3時間切り)を目指してフル・マラソンをはじめて2年間で6回完走はやり過ぎだった。それですっかり燃え尽きてそのあとまったく走っていません。その反省からボート漕ぎはあまり大きな決意で漕がないで負けてもヘラヘラ笑って居ようとぼちぼちやることに決めていました。

しかし、また悪い癖が頭をもたげてしまい今年のエルゴ大会で『クラブの女性で俺に勝ったらフランス料理食べさしたるでエ・・』と宣言してしまった。この会報にも紹介されたのでもう、やるしかない!もしかして、10人にも負かされたらどうしょう。頑張るしかない状況に自ら追い込んでしまった。でも結果は7分35秒でお陰様で1人にも負けなくて済みました。1人、2人に負けた方が楽しかったかな。なんて思う余裕?の結果に満足です。このモチベーションを春の朝日レガッタまでどうして維持させるのかという新たな課題に悩んでいます。 

11月17日、2ヶ月前だ!さあ練習開始。実力確認のために20分間漕ぎテストをやってみた。スコアは4707mの漕破距離だった。換算表(注1)によると2000mでは8分ジャスト。自分の予想とぴったりだ。7分40秒で漕げたら2〜3人には負けても10人にも負けることは無いだろう。とすればあと20秒の改善が最低限必用となる。取り敢えず年内に7分45秒にはしておこうと目標をたてました。

12月中頃の20分テストでは4866mだったので翌日5日に2000m確認テストをやってみた。換算では7分43秒の筈が7分55秒だ。同じく、年末の確認テストでも20分4941mで2000m換算7分35の予定が200mテストでは38秒でした。だいたい歳寄りとか持久トレーニング不足状態では時間の短い方がスコアが良いのに常識と逆や!なんでや? 剛健コーチは冷たく言い放った。『筋肉が減ったんでしょ』つまり体重は維持してても無酸素パワーを発揮する筋肉が脂肪にどんどん置き換わってるんでしょう?の意味だろう。

クソー、分かった分かった。翌日から高強度のショート・インターバルに練習を切り替えた。それと近年は家では医療職の端くれ女房に『歳寄りには動物性蛋白は健康に良くない』とかいって魚と野菜ばかり食わされていたので俺にもプロテン・スコアの高い肉を食わせろ!と叫びまくって牛肉をいっぱい食べてやった。肉を食うだけで急に筋肉が増える訳もないのに・・・。

冷静な自分ではなんて単純なヤツと感じつつも止まらない。この調子で正月を過ごして1月12日の20分テスト(注2)では4979m。 うん、これで7分32秒はいける。もう負けへんで。あとは試合までの3日間練習はやめて超回復を期待することにしました。

大会当日は会場で商売のボート展示をやることになっていて早朝5:30に会社に行って準備をした。何とか炭水化物を補給しておかないといけない。前日の昼弁当がひとつ会社の食堂に残っていたので食べた。何を食っても食中毒なんてなったことがないので心配はないが冷たくてまずかった。でも調子がよくない。競技1時間まえからアップ開始。スタート5分前には競技エルゴに着いた。

いよいよスタートした!エルゴのデイスプレーと会場のプロジェクターの表示が微妙に違う!さらに我エルゴのデイスプレー表示が時々消える!会場のアナウンサーが9番エルゴを漕ぐのは○○造船所の古川社長です!と要らんこと言う。

春ちゃんと睦ちゃんが大声!で応援してくれる。我が家の洗濯干場の静粛なトレーニング場の環境とまるで違う、誤算だ。柄にもなくパニック状態のままゴールした。

結果は目標より少し悪い7分35秒で2ヶ月の挑戦は終わったのです。次は気象予報士(ボートに役立つはず)試験の挑戦を嶋田くんと春ちゃんから受けている。

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