Tolentino氏、SEA大会で他を圧倒する

東南アジア(SEA)大会がBenjamin Tolentino Jr.のホームコースであるマニラのケゾンシティーで開催されることは彼をボート界に引き戻すのには十分だった。23回目となるSEA大会はちょうどフィリピン諸島のマニラで終了しTolentinoは復活をを三つの金メダルという大勝利で飾った。

Tolentinoの連続勝利は軽量級男子シングルでの優勝から始まった。そしてたった一時間後、かれはパートナーであるJo Rodoriguez と組み、男子ペアでまた優勝した。次の日、Tolentinoは軽量級ダブルでAlivin Ampostaと組んで三つ目の金メダルを追加した。これらの三人の選手はいずれも今年の初め日本で行われた世界選手権をかわきりに自分達のSEAレース探索を始めている。

普通、無差別級ローヤーとして戦うならば183cmのTolentinoは72.5Kg上限を目標に厳しい減量を行わなければならないはずだった。Tolentinoの大成功は有名なバスケット選手であった彼の祖父、Mariano Tolentinoと同じようにフィリピンのスポーツ史に家名をきざむことになるだろう。

Tolentinoの三つの金メダルはフィリピン勢にとってSEA大会でのボート競技による唯一の金メダルとなり、他の銀メダル一つと三つの銅メダルで総合でも勝利をおさめた。

二年後のSEA大会の主催国となるタイは同じく三つの金メダルを獲得し総合で二位の成績をおさめた。メダルの数は二つのレースで優勝したPhuttharaska Nikreeの大貢献によって押し上げられた。Nikreeは女子軽量級ダブルで勝つために長年のパートナーであるBussayamas Phaengkathokと組んでいた。そしてNikreeは一人でも軽量級女子シングルで二つ目の金メダルをおさめた。Nikreeはプロのローヤーで二回のオリンピックを経験しているベテランでもある。彼女は国際舞台に1998年からたっており、東南アジア勢の中でもっとも成功したローヤーのうちの一人である。

試合に参加しているローヤーのほとんどは軽量級の選手で、女子シングルの優勝者であるインドネシアのPere Karobaも軽量級女子シングルに参加しNikreeにやぶれ二位という結果に終わった。160cmのKaroba(24)は以前一度オリンピックの場で対決したことがありそのときは女子シングル全体で16位という結果だった。

フィリピンボート連盟の会長であるBenjamin Ramos Jr.氏はこの大会の成果としてフィリピン選手達に新しい艇庫と64艇のボートを与え、喜びを表した。次の関心は2006年のシーズンへと向かい、カタールの首都、ドーハで開かれるアジア大会へと向かっている。

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