『ハードトレーニングは勝利を約束しない』に対する反論

松井@夏まで外語大コーチでした。

いつも話題を提供するこのページですが、本当に待っていました、という内容です。

読後の印象としては、今回の内容は総論的・総花的すぎるのではないかということです。 この印象の原因は次の二点に起因していると思われます。

1)では、ロウイングにおけるトレーニングの対象領域が明確でなければ、何をもってハードとするのかが曖昧です。生理学的フィットネスか、筋肉の出力と神経系統の学習の調整(F氏の言葉を借りればインピーダンスマッチング)か、レース戦略か、闘争本能か、etc.そのそれぞれにおいて”ハードな”トレーニングとは何なのかが曖昧なまま論が進められていないでしょうか?

民族を越え、生理学的に骨格筋STにおいてはトレーナビリティが低いということがあきらかです。つまり、STの発達に関しては強度よりも時間が限定要因になるわけです。一定時間以上刺激を与えることが優先され、その条件を満たすトレーニング強度が設定されることになります。また、F氏の言及にもあるように『種』を越えたトレーニング効果が得られないというのなら、民族的に日本人と欧米人との間にはVO2MAXにおいて成人男性の平均値でさえ約20%の差が存在するわけですから、この部分は明らかな欠点であり、その欠点を補うためのトレーニングは意味がないことになります。ではその欠点を補うためのトレーニングとは何でしょうか?脂質の代謝能力を高めるため、肉食を続け、20世代くらいかけてDNA の遺伝情報を書き換えていく、というトレーニングは的外れでしょうが、UTに代表される酸素利用能力の開発トレーニングは極めて妥当性のあるものでしょう。では、このUTトレーニングも欠点克服のトレーニングだから無意味なものなのでしょうか?これは『ロングは強く漕げ』というF氏自身の発言と矛盾しはしないでしょうか?

2)感性・創造性、に関しては私自身極めて大切だと思っています。ただし、それは原理原則を理解した、身につけた後でこそ語るべきでしょう。私個人としては、『身近な本物を見ること』から、感性への気づきは始まると思っています。以前、イタリアのカプア氏にアトランタ五輪のイタリア2Xのビデオを見せられたことがあります。確かに、すばらしい技術で、納得のいく原理が体現されていました。しかし、後日繰り返しそのビデオをみていると、敗復で落ちたクルーはわかりませんが、決勝で4位や5位のクルーも、レースの前半ではその原則にかなった漕ぎを体現しているのです。では、彼らをイタリアクルーと弁別する要因は何なのでしょうか?それが感性の差なのでしょうか?彼らには創造力(想像力?)がなかったので しょうか?

翻って、国内の選手、しかも,F氏の言及している大学生に目を転じれば、そのほとんどが、昨今の流行言葉である『サスペンション』『フィーリング』のとりこになっています。『一様サスペンス劇場』『総サスペンション教信者』といっても過言ではありません。では、彼らが信仰している『サスペンション』や『フィーリング』で艇が速く進んでいるでしょうか?私にはそうは思えません。彼らはただ、強大な質量を持つコースの水に対してわずか数十キロ〜数百キロの艇(+クルー)をかろうじて支えているだけで、加速を継ぎ足せてはいないからです。その意味では、国内のチームで明治生命が異質に映るのは無理からぬことでしょう。艇は漕手が発揮した物理的な力によってのみ運動するという原則に対してはどんなフィーリングも敬虔でなければならないと思います。

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