規則と自己責任−スポーツは自らの責任と負担でやれ−

二年前にサラリーマンをやめて造船所のオヤジになった。造船所と言っても大きな 鉄鋼船を造るわけではない。ボート選手とコーチの経験を生かして競技ボート専業の ささやかな会社を引き継いだ。

八月末にスイスで世界漕艇選手権があった。トップ選手が集まる場の雰囲気と造船各 社の展示ブースをのぞいてみたくて会社の新製品開発担当者を連れて出かけてきた。 試合の後、ヨーロッパ各地の造船所を訪問するためにレンタカーでスイス、ドイツを 走った。うわさの通り、日本の高速道路とは違った。速度制限表示は特別区間を除い てはない。雨スリップ注意や、カーブ多しの類の道路標識は私の見た限りでは皆無で あった。あとは自分の責任で走れということだろう。道路は実にすっきりしていた。 ルート表示板を注視しながら全行程を間違いなく走ることができた。

日本に戻ると、道路標識板が多いことが以前に増して気になりだした。更に、高価 そうな電子式気温表示板があちこちに立っていることに気づいたが理由が分からない。 冬季における道路凍結警告用かもしれない。でも、冬はヨーロッパの方が寒いはずな のにそんなものは無かった。今はやりの道路公団批判をここでするのが目的ではない。 まるで子供に言って聞かせるような親切過剰の道路標識が乱立しているのは、言い換 えればお節介だと思うのである。

さて、私がメンバーの瀬田漕艇クラブには初心者や若者が大勢いる。過去から全国 でボート練習中の悲痛な事故が隔年くらいに繰り返されてきた。事故発生の度に安全 が点検されて規則が積み上がって来ている。我々が湖上に出てボートを漕ぐときの安 全確保のために自主練習基準を作る必要がでてきた。その基準作りの議論のなかでは 懇切丁寧で完璧な規則作りを求める者と、基本的な内容にとどめるべきとする二つの 意見がでた。

ここにきて、悲しい体験から生まれた既製の規則を批判するのは勇気が要る。あえ て言うなら管理責任者の責任逃れか、間違った気配りによるお節介なるルールが多く やりにくい。これをどんどん進めていけば交通安全は車を無くすること、ボートの安 全は漕がないことのような馬鹿げた規則に行き着いてしまわないか。ボート施設の管 理者は事故の起こらない施設の提供を、造船所は進水しても沈まないボート造りをす る。ハード面のフエルセイフ化に専心するべきだ。

一方、利用者は自らの行動のなかに危険がどのようなかたちで、どれくらいの確率 で迫り来るかを予知しなくてはいけない。そして行動の結果は自己責任である。双方 が責任の所在範囲を明確に認識するべきで、これらが入りくんだあやふやで過大な量 の規則は混乱のみで安全につながらない。これが私の意見である。そして協議の結果、 幸いにも我々は簡潔な基本練習規則策定にとどめることができた。

安全は規則を守るだけでは確保出来ない。当事者が五感を動員し、感性を磨く必要 がある。クラブの大人達は経験の浅い会員に間違いがないように見守りつつ、安全の 仕組みと責任を教えることを優先させようとの趣旨でもある。

事故が起こると他人の責任にしたがる風潮が気になる。自らを考えさせ、当事者責 任をもとめるような規制が必要だ。大人のルールと責任に支えられた創造あふれる成 熟した社会を期待したい。

(後記)

この原稿を書き上げて編集者に送った直後に事故が発生した。残念で仕方がない。 安全を人任せにしないで自分の命は自分で守るとの気概を若いひとに教える場が少な過ぎる。批判をおそれず再度言おう、他人や規則をあてにするな!自分の命にかかわることは自分で考え判断し、行動せよ。どんな結果もおまえのせいだ。

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この記事は、2001-9-26に京都新聞に掲載されました。