瀬田川の大将をきめる−ボートレースの原点にもどる−

ボート競技シーズンは九月の夏季国体でほぼ日程が終わり、今はオフ・シーズン。 その今月中旬の二日間に瀬田川でヘッドレースと呼ばれる少しかわったボートレース開催された。

このレースは1艇ずつ、間隔をおいて出発してタイムを競う方法である。瀬田川の ように曲がりくねって川幅も広くない水面を利用するにはちょうど良い。現在ではオ リンピック等の普段のボートレースは近代スポーツ競技らしく変化していて六チーム が静水の2000mを競うが、ヘッドレースはボート競技の原形といえる。有名なイギリ スのロイヤル・ヘンリーレガッタも同じである。正確なタイムの計時方法のない昔は このレース形式で後発クルーのヘッド(艇首)が先行クルーに追いつき、艇尾にぶち 当たるかどうかで勝敗を決めていた。現在世界で一番大きいのはボストンのチャール ズ川で行われるレースである。

この時期には世界各地でそれぞれの川の名前を冠したヘッドレースが開催されてい る。もともとのボートレースはだれが一番かの腕くらべから始まった。そこで瀬田川 の大将を決めようという遊び心も込めて瀬田川でのヘッドレースはヘッド・オブ・ザ・ セタと呼んでいる。我々も開催をはじめて十年目を迎えた。その年の大将には帽子を 贈り、彼が今後一年間、チャンピオンキャップをかぶって漕ぎ現れたら、皆は敬意を 表して進路を譲る。そんなルールはできたら楽しいなあと思ったりもする。

私も8.4kmの距離を漕いだ。大将にはほど遠かったが、川辺は紅葉の真っ盛り でシーズン中にはとても味わえない快感を満喫できた。その夜は強い、弱いの区別な く、交換会に集まってボート談義に夜を明かした。

世界選手権のメダリスト達は人気の中心となり、なにか強くなる秘策はないかと毎年質問攻めになる。翌日は気のあった者同士が即席クルーを組んで前日と同じコースを漕いだあとシーズン中には体験 出来ない気分を持って帰っていった。

我が国のスポーツ選手は生真面目さを求められ続けてきた。それが強くなる唯一の 道と教えられてきた。スポーツを楽しむことの追求には消極的であった。むしろいけないことのような雰囲気すらあった。今もあまり変わっていないと思う。このことが今の体育会系のスポーツクラブの閉塞感や不人気の原因と私は考えている。元来、競技スポーツは健康的な身体運動の範囲を大幅に越えることが常である。やりすぎから怪我や障害の発生のリスクも多い。近年は肉体ばかりか心まで傷つく選手が多くなった。体も心もすり切れては戦えないし、創造的な取り組みは出来なくなる。

かたや、チャンピオンになるような選手は例外なく楽しみかたを知っている。そして豊かな感性と余裕を感じさせるオーラを発生している。その背景にはスポーツを楽しんだり、遊び心を持つ環境があり、チャンピオン輩出を支えている。それがいざ勝負の時に狂気とも思えるフアイトを生むのである。そんな中、指導者の役割も増加しているが不人気競技では育成は遅々として進んでいない。悪循環ともいえる。競技スポーツ、特にボート競技の現場に楽しさ大幅に取り入れていかないことには今のジリ貧状況から抜け出せないと危機感をつのらせている。こんな思いがわれわれをヘッドレース開催にかりたたせている。

(後記)

ヘッド・レース開催の裏方で支えてくださった瀬田漕艇クラブのみなさんにはご苦労さまでした。特に初日の夜の懇親会は回を重ねるごとにすばらしくなり、この大会の柱のひとつになって来たとおもいます。

日頃、大勢の仲間がクラブに集まり漕艇を楽しむということは見方を変えれば地域環境に負荷をかけていると言えます。それを何かの形でお返しをして埋め合わせをしたい。これが瀬田漕艇クラブがNPO法人になった大きな動機であったはずです。ボランテアや社会奉仕をすることはわれわれの義務だなんて堅苦しく考えることはありません。どんどんボートを漕いで自分達のボート認識レベルをたかめましょう。そのことがクラブの社会活動レベルを高めると言う、良い循環をもたらすのではないでしょうか。

なんだか新興宗教の説法のようになってしまいました。そうです、われわれはボート 教(狂)??なのです。これからも次々と行事が計画されていますが、面白いことやりませんか。

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この記事は、2001-11-28に京都新聞に掲載されました。