元気なさなえベルリンボート紀行(最終回)

中村さなえ

みなさん、お元気ですか?日本に帰ってきました。元気な(?)さなえです。最終回が、途中になったまま帰国しました。その後、日本での教師生活に追われ、そのままになっていました。ゴールデンウィークで元気を取り戻しました。

3月13日(土)

BRCの男の子達が、ベルリンの試合(6km)に出るというので、見に行きました。テーゲル空港から、ベルリンの市街地に入ってくる途中に見ることの出来る水域です。この日は練習。コーチのデットレフとコースの横を歩いている途中に、デジカメを落としました。探しにもどったら、やっぱり落ちていました。はははっ・・・。
午後は、お天気が良いのでヴァンゼーで、シングルスカルを漕ぎました。明日は、本番です。

3月14日(日)

BRCの子ども達(14歳から17歳)が、漕ぎのを見に行きました。みんなレーン番号をコーチからもらって、あとはみんなで協力し合い、それぞれの時間に合わせて出ていきました。
私は、コーチのデットレフが2km地点でタイムをとる仕事についていきました。1時間ほどで交替。その後、コース沿いを歩きました。コーチのデットレフの世界選手権の話やオリンピックの話を聞きながら、ボート観戦。この日もとてもお天気が良くて、気持ちが良かったです。しかし寒い・・・。手袋が必要・・・。

3月15日(月)

卒業式前日。卒業記念品の校旗が仕上がらなくて、大変!!でした。何とか完成。6人の卒業生と一緒に校旗をつくりました。

3月16日(火)

ベルリン日本人国際学校卒業式。夕方、BRCに行きました。デットレフの運転するエンバッハのカタマランに乗って練習を見ました。このカタマラン、壊れているので、水が入らないように、さなえの座る位置が大切なのです。デットレフの指示のもと、右に座ったり、左に座ったり、後ろの方に座ったり・・・。これがまたなんとも楽しいのでありました。
そして、BRCのガシュトシュタットでビールを飲みました。「BBGのボートがコンテナでドイツを出発した。」とデットレフに話すと・・・。「ビールものせたのか?」と言われてしまいました。はははっ・・・。テッド(デットレフ)とさなえは、よく(たくさん)ビールを飲むのでありました。

3月17日(水)

ベルリン日本人国際学校修了式、離任式。
ベアーテとトーマスと3人で漕ぐ予定でしたが・・・。ベアーテとトーマスがくる前にシングルスカルに乗ってしまいました。とても暑い日でした。新聞には、夏がやってきたと書いてありました。

3月18日(木)

朝は姉妹校のドライリンデン校の校長先生のところに挨拶に行きました。その後、大使館に挨拶。お昼にシュタッツオパのワークショップでお世話になったもと二期会のオペラ歌手の知人と会いました。
夕方は、BRCのモーターボート。もうすっかりデットレフのアシスタント・・・。子ども達も気軽にいろいろ聞いてきてくれます。

3月19日(金)

おばさん達とビックボートを漕ぎます。私のドイツ語の先生、イングリットおばさんとは、何と?この日初めて同じクルーになりました。べらべら、べらべらおしゃべりをして、たらたら漕ぎました。楽しかった。
その後、ブリケッテの車で飲み物を買いに行きました。この日は、さなえの送別会でした。みんなの持ち寄りパーティー。たくさんの仲間が集まってくれて、感激でした。中でも、普段はナショナルチームの練習でほとんどクラブに来ないマグダレーナが来てくれたのが、うれしかったです。彼女とは2003年のクルップマイスターリンを争いました。風と波と500mの短い距離に助けられ、さなえが2回目のクルップマイスターリン(クラブのチャンピオン)になったときにも、彼女は、楽しく祝福してくれたのでした。
おいしいお料理に心のこもった数々のプレゼント。ボートを通してこんなすばらしい女性達と出会えたのです。幸せだ!!写真をつけます。(BERLINと書かれた赤いヤッケは、クラブのみんなからのプレゼントでした。)

3月20日(土)

久しぶりのクオドです。アキレス腱を切ったベアーテは漕げたのですが、ヴァレスカは風邪・・・。ブリケッテとベアーテとヴァレスカのかわりのベティーナとさなえの4人で漕ぎました。久しぶりのクオドは、速い。また、クオドに乗りたいなあ・・・。

3月21日(日)

イングリットおばさんの家でドイツ語の勉強。最後まで、勉強し続けます。また、みんなに手紙を書かなくちゃ・・・。メールも・・・。おばさんが最後まで、面倒を見てくれました。
24日、ベルリンを発つ日の打ち合わせも綿密に・・・。

3月22日(月)

やっと引っ越し荷物を出しました。(船便)夕方は、BRCへ・・・。この日は冬が帰ってきたような寒い日でした。風も強くて・・・。桟橋で練習を見ました。60本を6回というメニューでした。
その後、ハイケとハイケの彼とロレッタ(近くのレストラン)でビールを飲みました。ハイケは私のクラブの仲間。彼女はずっとクルップマイスターリンだったのです。ハイケの彼は、BRCのおじさん(?おじいさん???)。BRCで練習を見ているときに、彼に誘われました。「今日、ハイケと会うから、さなえもおいで。」って・・・。

3月23日(火)

午前中、イングリットおばさん達のグループで漕ぎました。ビックボートです。さなえの送別ローイングだとみんなが言っていました。
お昼、大家さんとの約束があったのにもかかわらず、ちょっとの時間で、みんなが水上に連れていってくれました。大家さんとの約束に遅れそうだったのですが、イングリットおばさんが車で、猛スピードで送ってくれました。感謝です。
夕方、大家さんがヴァンゼーの湖からボートを漕ぎながらいつも見ていた美しい教会の近くのレストランに連れていってくれたのでした。いつも水の上からしか見たことのなかったところで、食事。湖がとても美しかったです。大家さん、ありがとう。

3月24日(水)

とうとうベルリンを発つ日がやってきました。イングリットおばさんが、空港まで送ってくれるというので、おばさんの家に行くと・・・。おばさんのお嫁入り道具のローゼンタールの濃いブルーの食器で、カフェが用意されていました。さなえの送別カフェでした。3種類のクーヘンを食べて、コーヒーを飲んで出発。
空港には、ブリケッテとヴァレスカ、そしてクラブの仲間も何人か来てくれました。ヴァレスカはFRCW(私たちのクラブ)の旗を持ってきていて、みんなで写真を撮りました。最後は、白いハンカチを振って送ってくれました。
最後まで、ボートの仲間に助けてもらって、見送ってもらって・・・。また、ヴァンゼーに漕ぎに行くぞ!!

それでは、元気なさなえベルリンボート紀行はしばらくお休みです。みなさん、これまでご愛読ありがとうございました。
今後とも、元気なさなえをよろしくお願いします。
元気なさなえ、今は日本です。

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