Qが9位?

和歌山RC 岡崎Q祐治

瀬田ローを離れて1年4ヶ月が経ちました。和歌山RCの岡崎です。簡単に自己紹介。僕が瀬田ローに入会したのは1999年の5月。瀬田ローから離れたのは2003年3月。初めてレースに出た時に「瀬田漕艇クラブQ」という名前で出たため、ニックネームが「Q」になりました。その後2002年あたりから全国大会を目指す選手(藤原康行さんや内田太二君など)と練習するようになりました。

今回、和歌山RCから全日本軽量級に出るために長良川にボートを積んで向かいました(選手1人、マネージャー1人)。「瀬田ローには迷惑をかけない」が今回の遠征の目的でもあり、艇の借艇や運搬を頼みませんでしたが、会議に出ていただいたり、レーンプレートやQ命具をかしていただいたりと、やっぱお世話になってしまいました。今回、黄瀬編集長より依頼があったのでレポートを投稿します。

7月1日〜7月4日

1日目

岐阜で全日本軽量級が行われるので朝早起きして岐阜に向かった。今までこんな大きな大会に消極的な気持ちで参加したことがあっただろうか、、、。

全日本の(2000mの)大会に参加するのは今回で3回目。今回シングルスカルでエントリーしたが、朝日レガッタ(準決勝3位)が終わってからというものの、すっかり自信をなくしてしまった。それ以来、コーチにも全くみてもらわず、滋賀にも行かずで誰からもコーチングを受けずに2ヶ月を過ごした。滋賀に行きたかったけど、朝日以降は全日本、U−23と大事なレースが続くので何となく邪魔してはいけないという気持ちになってしまった。だから今回の軽量級は、自分なりにやってみようと思った。艇も瀬田ローに借りず、また運搬も頼まず、和歌山RCの選手が所有する艇を借り、車で運搬した。幸い、今回は先輩の中田さんが同行してくれた。

長良川の感想は、、、僕はいいんじゃないかなぁと思う。2005年にここで世界選手権が行われるが、他の日本のコースと比べるといいかなぁと。で、着いて組み合わせに向かい、エントリーしている顔ぶれを見るとため息が出そうになった。実は今回、全日本選手権に出ずに、全日本軽量級にでた理由の中に、戸田のレースではないから皆出てこないのかなぁと言うのがあった。ここでもう弱気が出ているなぁ。が、有名選手はゴロゴロ出ていて、シングルスカルで全日本決勝に行った選手はもちろん、ダブルやエイトで決勝に行っている選手もたくさん出ていた。はぁ、、、来るんじゃなかった、、、。

2日目

この日は朝10時半から予選。同じ組に全日本チャンピョン、小畑さんがいる。この時点で予選通過は絶望的だ。ただ他の選手、特にトヨタの西岡さんには勝ちたい。6月の全日本で、トヨタのエイトで整調を漕いた人との事。勝ちたい。そう思ってレースに臨んだ。コンディションは抜群。水面は穏やかだ。今回、2000mのレースで前半から飛ばして相手を見て漕ぐというのをしてみたかったので、前半から飛ばすことを中田さんと確認して望んだ。予想通り前半から飛ばして500m通過でも小畑さんが近くにいて、西岡さんにも大きく水をあけた。ただ1000mから大失速。とにかく苦しかった。しんどさに耐えれずに最後は漕ぎを乱して4着でゴール。ほんまに苦しかった。明日も2000m漕がないといけないのかぁ、、、

3日目

朝10時40分からは敗者復活レース。香港のジャッキー選手は速いので行かれるとして、予選のタイムが僕より少し速かった岐阜経済大学の中谷君をマーク。敗復も前半から飛び出せた。ただばててくるのが怖かったので1000m以降は本当にひやひやした。勝つには勝ったけど、やはりラストはばててしまった。2位で準決勝へ。準決勝は14時から。準決勝であたった内田にレース前、「あたりましたねぇ、僕はスタートから出るんで」と言われた。ちょっと自分のほうが有利だと思ったらそんなこと言うんやから。瀬田にいる時なら言い返せたが、全日本2位の内田さんだからなぁ、、、。「勘弁してよぅ」て言うしかなかった。準決勝は逆風が強くてパワーのない僕には不利。この組には僕より速いであろう人が小畑さん、内田、ジャッキー、西岡さんと4人いる。4人が明日のA,B,ファイナルに残れるのに、、、。正直4位以内に入れる気は全くなかった。ただスタートしてみるとスタートから飛び出す宣言した内田より飛び出して500mでも横にいるではないか。ただ内田に勝てる気は全くしなかったので内田を突っつきながらレースして行こうと思った。その感じで1000m付近まで来たけど、そのあたりから離されてしまって「あ〜やっぱりなぁ」と思って遠くの1レーンを見たら西岡さんより前に出ている。そのまま1250mに来た時にかなり苦しくて「予選でもここから一気に抜かれたしもうあかんわ」と諦めが入ったけど、ここで中田さんが「気持ちで負けるな」と言ってくれた。この言葉は衝撃的だった。そして思った。「どうせばてて抜かれるんだったら、もうちょっと頑張ってラストで抜かれよう」と。だからとりあえず1500mまで頑張ってみた。が、また抜かれない。こうなったらあげてみよう。水中を強く漕いで、そのままゴールまで行こう。そう決めて漕いで見ると、ちょっとの差からつまらない。いける。そうすると4位でゴールできた。やった、Bファイナルに行ける。嬉しかった。でも夜になると、「また明日あの苦しさを味あわなければ」と考えると、、、、。勝って嬉しいけど明日は漕ぎたくない、、、。だって準決勝は本当に苦しかったのだ。

最終日

朝9時10分から順位決定戦。1レーンからQ、瀬田ロー嶋田さん、トヨタ山口さん、瀬田ロー内田、慶応大学藤村君、トヨタ田辺さん。瀬田ローの二人、トヨタの二人は他の種目で全日本決勝に行っている選手、藤村君は予選で10秒差で負けている。一体誰に勝てるんだ?ただ準決勝で内田について行ったらよい結果になったので、「瀬田ローの選手の遅れたほうについていく」という風に決めた。ペースは準決勝と同じく、早めに落としてコンスタント勝負。何故かスタートで出遅れることはないみたいだからじっくり行こう。そしてスタート。かなり強い逆風で250m通過と同時にRATE30のコンスタントに切り替えた。500mを通過すると、自分の中ではものすごくいいリズムを出すことができて、このままならペースダウンせずに2000m漕げるという確信ができた。5、6レーンの選手には出られていないので、ここから突き放すぞという気持ちで水中を意識した。そしてそのまま1500mまできて、早めにスパート、ここでも中田さんからの的確な指示が耳に届く。自信を持ってペースを上げて、嶋田さんを抜いて、、、、、抜いたのはいいがまだ後200mくらいあるのに6レーンからトヨタの選手がどんどん迫ってくる。でもここだけは譲れなかった。何とか1秒差でゴール。内田とトヨタの山口さんとはまったく勝負できなかったが、全日本の大会で、しかもシングルで9位になれたことにびっくりしてしまった。本当はもっと上のレベルを目指さなければいけないかもしれないが、今の僕にとってはできすぎだと思う。今回は近畿ブロックのステップレースとしか考えてなかったし、実際に2000mを意識した練習はほとんどしていなかったので、まぁ○だろう。でも2000m4発漕いだので、本当に疲れた。当分シングルで2000mのレースは遠慮したい。(ちなみに最終日は途中から風と波が強くなり、沈没したクルーもでるほどだったらしい。シングルの時にそうならなくてよかった、、)

この文書の情報