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林紘介

6月の世界ジュニアの選考会で、逆風にやられて惨敗してから約2ヶ月インターハイに向けて今までにないハードな練習をした。それまで、平日に2部練習をしたことはなかったし、週に1,2回はOFFだった。「これだけやって勝てないはずは、無い!」と思えるくらい練習した。しかし、決勝にも行けず終わってしまった。敗因はなんだったのだろうか。いろいろ考えたが答えはわからない。

ジュニアの選考会が終わって、京都府の国体予選のとき中日本から2ヶ月あいてダブルに乗ったそのときは、タイムも技術もそんなに問題なかった。それから、しばらく期末テストのために練習を休んだ。このときは、インターハイもまだまだ先の話でそんなに練習休むことに抵抗は無かった。テストが終わり、ダブルでの練習を再開したとき、パドルの練習なのにレートが30以下というとんでもない状態だった。12月のジュニアの合宿で6000mのタイムトライアルをレート32で漕いでいたことを考えれば信じられないことである。

さすがにまずいと思ったので必死に練習した。最初の課題はレートを上げることだったが、このときはバランスが悪いとはあまり思わなかった。次第にレートがあがるようになり1000mのコンスタントなら34くらいで漕げるようになった。しかし、上げられるところまで上げても40までなかなかいかなかった。(インターハイ後、シングルでスタート練習してみたが、38くらいまでしか上がらなかったのでもともとそこまでの出力がでないのだろう。)インターハイの1週間前の6分漕ではかなりの艇速がでていたので、スタートが遅くたってこれだけのコンスタントがあれば絶対勝てると思っていた。

でも、いま思えばあの時がピークだった。それからはレートが下がることはなくても蛇行するしバランスが悪くなるし勝ち負け以前の問題が発生した。それが原因で腰や肩をいためたこともあった。1週間ではどうにもらなないと思いあまり気にせずにそのままレースに行った。

配艇練習は1日目が中止になったので、二日目に時間をかけてリギングした。そして、終わったら残り20分さすがに時間をかけすぎた。そのときもバランスが悪い上に旧規格艇で艇の浮力が小さいのでハイトを低くしすぎていたため、全然練習にならなかった。三日目、時間は短いがりギングが早く終わったので割と練習できた。今度は、ミスも無かった、しかしバランスは悪かった。

予選、強敵はいない組だったので落ち着いてレースができた。スタートは相変わらず遅いが、いつものことなのでなれている。とりあえず1位で予選通過、しかしタイムが遅くて少し不安だった。1日あいて2日後準々決勝相手は無名クルーだが油断はしていなかった。インターハイや国体は大穴がでることが多い。それでも、準々決勝は1位だった。次の日の準決勝は、とりあえずあがれると思っていたが、厳しいレースになると思っていた。スタート直後、他のクルーに離されてさすがにあせった。後半追い上げるのは、もっとも得意とするレース展開だが、今までの経験から言ってラストで追い抜くのは、ラスト750くらいからあげないと間に合わない。スプリンターなら話は別だが、自分がステイヤーである以上瞬間的なスピードはない。ラスト600くらいでこれはやばいと思っていたが、できるだけあげる努力をしてみた。このときはバランスのまあまあよかったが、今度はまっすぐ進まないという問題が発生した。バウからでは進行方向を確認できないので、ストロークサイドを強く漕ぎ続けた。しかし、これでは出力がでない。結局そのまま4着で準決落ちで終わった。

今回、インターハイのことを反省し次につなげていきたいと思う。今度の国体はボート選手として最後の大会になるかもしれないが、少しでも上の順位を目指したいと思う。

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