アテネ観戦記〜思い出に残る4−〜

内田太二

無骨に山肌が露出した茶色い山々と、どこまでも広がる青空の下でボートの決勝が行なわれた。4年前のシドニーを思い出させるような穏やかなコース。第一回アテネオリンピックからボートは正式種目としてあるが、その第一回目は大荒れのため、ボート競技は中止になった。しかし、およそ100年余りのときを経て、再びこの聖地でボートが行なわれることになった。一体ここでどのような歴史が刻まれることになるのだろうか…。

決勝1日目、この日に会場のボルテージは最高潮を迎えた。それは4−の戦いの時だった。この試合では、ピンセント率いるイギリスクルーのオリンピック2大会連続金メダルが懸かっていると共に、ピンセントのオリンピック4大会連続金メダルというすばらしい大記録が懸かっていた。イギリスのTIMESという新聞の一面には、この4−の記事が大きく掲載されていたらしい。それだけ彼らに対する国民の勝利への期待が高いということか。

そしてレースが始まった。前半から首位を走っていたイギリス。会場にはリアルタイムでのテレビ中継はなかったものの、電子掲示板に500メートル毎の通過タイムが表示される。電子掲示板から映し出されるタイムに観客は大きな歓声をあげ一喜一憂していた。

会場が更に熱気に包まれ出したのは、それまで首位を守っていたイギリスをカナダが1000メートル過ぎからじわりじわりと追い上げ、1500メートル手前で捕らえ、トップに躍り出たときだった。一体残り500メートルでどのようなドラマが待ち受けているのだろうかと思わせるような展開。この試合はその期待を裏切らなかった。ラスト500メートルからは肉眼でもはっきりとレースを見ることができた。肉眼で捉えることができてからの会場の盛り上がりは、まさに今大会のピークだった。日本では想像もつかないような数の人が大歓声をあげている。自分の声がはっきりと聞き取ることが難しいくらいの大歓声だった。そんな中、1900メートル地点にいた自分の目の前を選手たちが水を切るように船を走らせて行った。何とこの時イギリスがカナダを抜き返し1/3キャンパスほど前に出ていた。このままレースが終わってしまうのかと思った。

しかしそんなことはなかった。カナダのほうが速い。パワフルなローイングから繰り出される推進力によって、その差は1本毎に縮まっていった。あのイギリスが負けるのか?あのピンセントが負けるのか?そう思った。カナダがその差をグイグイ縮めていき、ゴールへともつれ込んでいった。見た目は同時だった。イギリスが2連覇をするのか、それともカナダがそれを阻止したのか。観客の視線は一気に電子掲示板に注がれた。「出た!!」。しかしそこには「Photo」の文字。写真判定だ。観客は息を飲んでその結果を待った。そして…。イギリス1位の文字が。カナダと0.08秒差。またドッと歓声が起こった。すばらしいレースだった。

この後も歓声は鳴り止まなかった。レース後しばらくしてイギリスクルーは、観客のいるスタンドの方へと漕いでいった。そこで観客から大歓声で祝福されていた。とその時、観客に答えるようにピンセントがゆったりと観客に向かって大きな太い右腕を上げた。また、ひときわ大きな歓声が起こった。ピンセントから王者としての風格を感じ取ることができた。

4−の表彰式。それぞれの胸に努力の結晶が輝いていた。そして、イギリスの国歌が流れた。この時、一体ピンセントは何を思っていたのだろうか。クルーと共に取れた金メダルへの喜び、大会4連覇への喜び、そして金メダルを取ることができた安堵、色々あるだろう。また、イギリスの英雄レッドグレーブの存在も頭をよぎったに違いない。彼はボート競技で前人未到のオリンピック5連覇を成し遂げている。20年近く世界の王者であり続けたのである。ピンセントには彼の偉業へと並ぶ5連覇への思いもそこにはあったのではないだろうか。もうすでに4年後が楽しみである。

今回のアテネ観戦で、自分の夢がここにあり、自分を動かす原動力もこの舞台にあることを再認識した。夢を夢で終わらせないために、今後どういう事をしていかなければならないのかということを考えながら帰路に着いた。

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