世界選手権秘話

古川宗寿

過日の城崎での社会人選手権は練習もそれなりにこなして優勝を確信して漕いだのですが決勝は500mまではトップ、その後、急に失速してしまい3位でした。8月の世界マスターズの誘いも受けていたのですが仕事の都合が許さず次の目標を失ってしまいそうになっていました。そこで目先を変えて8月の琵琶湖ドラゴン賭けることにしました。孤独なシングル・スカルと違って22人が息を合わせる醍醐味が楽しみです。 さて、8月は日本(アジア)で初めての世界ボート選手権の開催です。世界選手権おもて情報はいっぱい流れていますが今回は少し世界選手権を裏側から見てどうなのかを書いてみます。おもて情報と照らし合わせて観戦されると面白さが増すのではないかと思います。かなり、際どい話になりそうですが仲間の会報なので勇気をだして書きます。

ご存知の通りボート競技はごく最近までヨーロッパを中心に発展してきました。世界選手権の歴史は意外と浅いのです。それまではヨーロッパ選手権とか、北米選手権とかと称して各大陸ごとに選手権が開かれていました。日本でも古くからボートは漕がれてはいましたが、アジアをはじめその他の地域のローイングは欧米の人達の意識にはあまりなかったと思われます。レガッタに参加しても遠来のお客様扱いでした。例え話としては適当でないかも知れませんが昔、日本のオーケストラがクラッシック音楽を彼らの前で演奏したときにアジアの人でも西洋のクラッシック音楽ができるのかと驚いたそうです。それに近い感情で日本のクルーは眺められていたことは確かです。 ええー、日本人でもちゃんとボート漕いでるやんか・・・。

いままで世界大会やオリンピックの国際大会のマネージャー・ミーテング(代表者会議)には何度も出てきました。会議で具体的な言動はありませんが差別を感じるのは私の僻みでしょうか?現在でも仲間ではなくお客であり、お情けを受ける立場に座わらされて感じがするのです。 だから今回の世界選手権の開催成功はそんな雰囲気を跳ね返して新しい日本のローイング地位確立のチャンスなのです。

第1回は1962年にスイスで開催され今度の大会で27回目です。勘定が合わないのは初めのころは毎年開催ではなかったためです。さらに4年に一度くらいはヨーロッパ大陸から出て世界選手権をやってもいいとの内規があるそうです。特に五輪の翌年にあたる今年は各国とも選手の世代交代年でさして重要でもないので日本でもいいか・・。多分そんな感じで決定された気するのです。

私は1971年の第3回大会(カナダ・セントキャサリン)に重量4+で参加しました。1800mを通過しているころ、後方で大歓声が聞こえ、先行クルーのゴールブザーが鳴るのを聞きながらモータの波にもまれながら歯を食いしばって漕ぎました。しばらく静かになった後、われわれがゴールに入るとき再び大歓声が起きました。健闘への賞賛ではなく哀れみの拍手のように私には聞こえて悔しくて悔しくてなりませんでした。そのうち見ておけよ!この経験がその後の私のボートへの情熱のエナジー源となりました。わが国のローイングが世界と戦うのは軽量級か人数の少ない種目(1x・2x)しかないというのはそのときから芽生えた確信です。軽量級は小柄なアジアやラテン民族が互角に戦えるチャンスがあること、小艇は確率論から見て超天才が出たとき勝てることが期待できる、大艇は漕手数が多いぶん民族間の体力の平均差に、より近づくことになるので論理的に日本人にはハードルが高いと考えるべきです。

10年ほど前のチエコでの大会で中国の女子2xが目の前で金を取ったときヨーロッパ人に勝った!同じアジア人として思わず会場のスタンドのみんなのまえで思わず胸を張りました。それから5年前に初めて日本の軽量4xが世界選手権で金を取ったと聞いたとき一人、涙を流しました。この思いを知ってか知らずか、帰国後の祝勝会で三本君たちが私の首にその金メダルをかけてくれた。うれしかったけど必死で涙をこらえました。

ところが今年の大会には自国開催だという他愛のない理由で日本は重量種目もいっぱいエントリーしています。国体じゃないぞ、なぜ歴史を35年も戻して昔の私の情けなさを味あわせたいのかと言いたいのです。計画したやつの頭の中を覗いてみたい心境です。国民の前で必ず、恥ずかしいくらい大負けするでしょうから選手がかわいそうです。大負けしても選手の責任ではないのをあなたの眼で確認してやってください。納得いただけるはずです。 さらにわが国のローイングでは依然として組織運営も大会運営も競技スポーツに著しく偏重し、かつ権威的です。スポーツ大会は選手が主役でネクタイ・ブレザー姿の偉い人は影武者であるべきです。この原則に沿った大会運営ぶりを日本のボート関係者、特に審判資格を持つ方々にはとくと観察をお願いしたい。

現代は競技スポーツのみにとどまらないでその競技を主導する者(世界漕艇連盟・日本ボート協会・地方協会等)は広くすべての人々にボートを漕ぐ機会を与える義務があります。また誰もがボートを漕ぐことを求める権利があります。この理念にもとずいて世界選手権ではアダプテイブ(障害者)レースが併催されます。決して賑やかしの付け足しでもなく、見せものではありません。マスターズ(高齢者)ローイングも同じです。世界チャンピオンもこれらの漕ぎ手も同等の価値を持つローイング仲間なのです。FISA(世界漕艇連盟)ではその理念の推進にがんばっていてその一環なのです。ボートは世界的にみてマイナー競技であることは確かです。五輪競技から外れた野球やソフトボールを笑っている状況ではないのです。私たちも自国の普及とあわせてアジアの仲間にボートを漕ぎはじめてもらう支援運動もかなり重要です。

先般、日本ボート協会では減少するボート人口対策として底辺拡大委員会を立ち上げると発表しました。私は思い切り噛み付きました。何が底辺か、名前を変えてほしい、時代錯誤だ。競技選手以外の者は底辺なんて呼ぶのは失礼極まる。そんな意識なのでボート人口が減るんや!

言いたい放題だったので少し自己嫌悪になりましたが今の日本のボート界を象徴している例ではないでしょうか。私の意見を聞き入れていただいてカッコいいネーミングの組織が発足することを期待しています。

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