年男、京都シティーハーフマラソン「新馬戦」

押領司哲也

皆さん、こんにちは。瀬田漕艇倶楽部「駅伝部」(←来年の大津市民駅伝入賞へ向けて勝手に創設しました)の押領司です。漕艇通信の誌面をお借りして、私の「年男ハーフマラソン」デビュー戦をレポートさせていただきます。

2005年11月24日 京都駅前の居酒屋にて

「今度、琵琶湖ドラゴンで3月12日の京都シティハーフマラソンにエントリーしますけど、出はります?」琵琶ドラの坂井代表のお誘いが私のハーフマラソンデビューのきっかけとなりました。中学・高校と陸上の中距離をやっていたので、かねてからハーフorフルマラソンは機会があれば走りたいと思っていました。どうせ走るなら、私の生まれ育った京都の街、中長距離ランナー憧れの都大路を走れることに胸を膨らませていました。2年前は先着順に間にあわず、出場できなかったので、ふたつ返事でエントリーをお願い。陸上部時代の同世代が高岡寿成選手(マラソン、長距離種目の日本記録保持者)だったので、「同い年の彼がやれるなら俺もやれる!!」と変な勘違いと気合もエントリーの一因です。当倶楽部の上原君も一緒に飲んでいましたので、ともにチャレンジすることになりました。(←後日、今城代表もエントリーしていることが判明。オヤジ達のガチンコハーフマラソンの火蓋が切って落とされました。)

この日から、冬季練習の目標は「大津市民駅伝」と「京都シティハーフマラソン」の2本立てとなりました。

2005年12月〜2006年1月

陸上生活でも最長は10kmのロードレースだったので、ハーフマラソンは私にとって未知の距離。競馬にたとえるとマイラーの私が天皇賞(春)に出場するようなものです。まさにチャレンジです。とりあえず目標を1時間35分(1km4分30秒ペース)に設定し、週末と平日は残業の合間を縫って、週3〜4日の走り込みを開始しました。大津市民駅伝では花の1区4、2kmを志願していたので、年明けからは駅伝向けのスピード練習に移行。1月下旬には1kmで3分10秒、2kmで6分50秒台と順調に“追いきり”を消化し、近年まれに見る調子の良さで駅伝Weekを迎えました。

2006年2月5日 大津市民駅伝

が、「好事、魔多し!」。駅伝の前々日に39℃の発熱&水便に襲われました。前日はひたすら寝て体力温存。当日も熱は下がったものの、下痢止めがまったく効かず、現地で5回トイレに駆け込む始末。お尻の穴を押さえながら息も絶え絶えアップをして、最終コール後にトイレへ駆け込んだあたりからようやく薬が効いてきました。半脱水状態ながら、区間6位、15分13秒で完走。今だから言えますが、下痢が止まらないときの秘密兵器、「妻から借りた生○用ナ★キ△」と「ティッシュペーパー」を身に着け、野×ソも覚悟しましたが、隠しキャラのお世話にならず一安心でした。

2006年2月中旬〜3月上旬

さあ、京都シティまであと1ヶ月。2月18日、2月25日と2週続けて、15km走を行いました。それぞれ余裕残しで69分(1km4分40秒ペース)、66分(1km4分30秒ペース)で走れたので、目標タイムを1時間30分(1km4分15秒ペース)に上方修正。走り込みも週4日1km4分10秒ペースで6km〜8kmの調教を続け、体に染み込ませていきました。レース前々日に映画「ロッキー4」を見て、気分は最高潮!気がついたら、夜中に近所を走り回っていました?!

2006年3月12日 京都シティハーフマラソン当日

天候小雨、気温10℃。約7,000名のランナーが平安神宮前のスタート地点に集まりました。雨に濡れたくなかったので、15分前に上原君とともにスタート地点に向かいましたが、すでにランナーはテンコ盛り。「スタート2分前!」のコールに思わず、身震いしましたが、陸上のレースは定刻の発走です。10秒前のカウントダウンで緊張感は一気に高まり、「いざスタート!」となりましたが、いかんせん人数が多いので、スタートラインを超えるまでに1分以上要しました。また、スタート後しばらくは道幅が狭く、ランナーが密集しており、ペースアップできません。最初の2km通過に10分かかり、目標タイムの1時間30分を切るにはいきなり厳しい展開です。でも、ここで諦めてはこの4ヶ月間の練習が無駄に終わってしまいます。御池通りに入ってから、ようやく調教どおり1km4分10秒にペースアップ。その後は、機械のように1km4分10秒ペースを守り、風邪と花粉症で本調子でない上原君を9km地点から徐々に引き離していきました。10kmを超えると先にスタートして失速して行くランナーをどんどん抜くことができ、「俺ってスゴイやん!」と自己陶酔しながら、駅伝でお馴染みの国際会館を折り返しました。そして、ついに15km付近、陸連登録でポールポジションを確保した今城代表を捕らえました。残り6kmはほとんど下りです。呼吸に余裕があったので、「明日は仕事休み取っとるんや!死ぬ気で行ったれ!!」と全ての力を出し尽くすべく1km3分50秒台にペースアップ。銀閣寺近くの緩やかな上りで脚が止まりそうになりましたが、残り距離の看板が1kmずつ減っていくのを励みに、脚の乳酸&足の裏の血豆と格闘しながら、ゴールを目指しました。ラスト1kmは本当にきつかったですが、1時間28分ちょうどで平安神宮のゴールに戻ってくることが出来ました。上原君と今城代表はゴール前まで死闘を繰り広げ、それぞれ実質タイム1時間30分前後でゴール。オヤジ達のハーフマラソンは無事に全員完走で終えることができました。

よっしゃー、来年は1時間25分(1km4分00秒ペース)を切ったるでー!気合だっー!!おりゃー!!!

レース出場雑感

大きな市民レースだけに瀬田漕艇倶楽部の主催レースやボート界に取り入れられればと思うことがいくつかありました。我々も他のスポーツから学習しましょう!!

  1. 5km毎の自動計測システム
    スタートから5km毎にラップを自動計測。事前手続きをすれば、リアルタイムでラップをメール送信してくれます。
  2. 「写真入り」の記録証がもらえる
    完走者にもれなく、ゴール地点の写真入りでラップの入った記録証が後日郵送されます。
  3. レース運営のアウトソーシング
    このレースの募集、運営や上記の計測サービスは㈱ランナ ーズが行っています。㈱ランナーズは月刊誌の発行だけでなく、全国の市民レースの運営やエントリーの代行を行っています。

※ご参考 ㈱ランナーズ ランネット

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