完漕・琵琶湖周航130km

高原 茂雄(たかはら しげお)
神奈川県 宮ヶ瀬湖ボートクラブ

大学生になってから、ボートを漕ぎ始めた。学生時代は、競漕に明け暮れた。
卒業後一旦ボートから離れて、再び戻ってきたとき、競漕よりむしろ、美しい景色の中と水の上をどこまでも漕いでいく、「Pleasure Rowing」に興味を抱いた。現在、私が活動の軸足をおいている宮ヶ瀬湖ボートクラブ(神奈川県)は、「Pleasure Rowing」の精神が息づいていて、私にとっては、かけがえのない漕艇活動の場になっている。メンバーは、宮ヶ瀬湖での漕艇のみならず、各クラブの主催する遠漕のイベントに積極的に参加し、各地でその魅力を満喫している。

さて、そんなおり、私のボート仲間が、瀬田漕艇倶楽部さんが「瀬田漕艇倶楽部創立30周年記念イベント」として、「琵琶湖周航」を計画されていることを教えてくれた。案内を見ると、「瀬田ロー会員で無くても結構ですので、・・・。」なる文字が躍っているではないか。なにしろ「30周年記念イベント」である。次はいつ行われるかわからないし、もう、ないかもしれない。これは、何をさておいても参加せねばならない。妻を説得し口説き倒し、だめもと・却下覚悟で応募したら、「どうぞ、お越しください」との嬉しいお返事をいただいた。
晴れて、2泊3日、総航行距離146kmの旅に参加できることとなった。しかし、146kmとは、いかなる距離なのだろうか。宮ヶ瀬湖での漕艇は、1週間に1回、15km程度である。その他、別のクラブの練習に混ぜてもらって練習することもあるが、それにしても果てしない距離である。周航の日が近づくにつれ、不安が募り始めた。ボート仲間に、迷惑にも関わらず弱音を聞いてもらったりもした。いろいろ励ましてもらい、勇気をもらったが、「蹴り出した瞬間に琵琶湖の水に馴染むよ」との言葉により、力みや不安がすっと抜けて、リラックスした気分になった。
琵琶湖の水と馴染み、一体となって漕ぎ進む。いったいどんな感覚なんだろう。想像しただけで、わくわくさせる言葉だった。 今回の周航を振り返ってみると、4つの出来事が真っ先に思い出される。

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一つ目は、「暑さに対する対策と水分補給の大切さ」である。

第1日は、残暑厳しく、30℃を越える猛暑となった。艇庫へ向かうタクシーでは、まだ日の出前で、たいへんしのぎやすかったが、運転手さんから、「暑くなりまっせ〜」のひとこと。少し、めげた。暑さ対策としては、麦藁帽子がよいとされていたが、神奈川県では、すでに店から撤去されており、入手できなかった。このため、キャップの後ろに、日よけのためにバンダナを安全ピンで留めた特製キャップを「開発」した。首周りを直射日光から遮ることで、体力消耗を防ぐのに有効であった。
また、日焼け防止のため、暑かったが長袖を着用した。日焼けすると真っ赤に腫れてしまう私の体質からすると、これも非常に有効であった。今の世の中なら、夏用の暑くない長袖のウェアが存在しそうだ。今後、探してみようと思う。
水分補給は、2リットルのペットボトルを持ち込んだが、中継所での交代までにほぼ飲み尽くしてしまうほどであった。それでも足らなくて、自動販売機で購入したりして補った。ただ、水分を摂ることで、不思議と体力が回復した。次のクールも漕いでいこう、という力が沸いてきた。

二つ目は、「素直な自然の振る舞い」である。
「琵琶湖は、午後から荒れる」、との教えのとおり、第1日、第2日とも午後2時から3時ころにかけて風・波がでて、行く手を阻まれた。しかも、難所といわれる水域を通過する時間帯に風が出たから厄介であった。
第1日の安曇川河口付近、第2日の犬神川・宇曽川・愛知川河口付近であったが、ともに、風が吹いたときに、地形や浅い水深に伴い発生する三角形の波には、苦労させられた。やはり、難所では、風のでない午前中に通過できるような計画を考える必要があると感じた。

三つ目は、「完漕を締めくくるパドル」である。
残り、2000m。いよいよ、近江大橋が近づき、周航の完成が間近となってきたとき、「近江大橋くぐったら、瀬田ロー艇庫まで、2艇並べるで!!」。「ほんまでっか?」と問う間もなく、「パドル行こう」の声。もう、こうなったらぶっ倒れてもいい、蹴るのみである。
きっと他のクルーも同じ気持ちだったのだろう。ナックルなのに、まるでエイトのように空気を切り裂き、湖上を飛んだ。いままで体験したことのない感覚に酔った。完漕を締めくくるに相応しいパドルであった。

四つ目は、「瀬田ローのチームワークのすばらしさ」を目の当たりにしたことである。
今回の周航では、周航を断念せざるを得ないかもしれないできごとが2回起こった。1回目は、第1日の難所、安曇川(あどがわ)沖を通過中に発生したオールトラブルである。私の使用していたオールのグリップとオール本体との接着部分が剥がれかけ、オールが破損する恐れがでてきたことだ。
「オールは壊れるはずがない」との先入観から予備のオールを持ってきていなかったことが失敗であった。トラブルオールの破損を避けるためペアワークに切り替えたが、ますます強まる風波に、流されるままに近い状況となってしまった。

この危機に、陸上サポートの動きは見事であった。付近にある艇庫を探し、オールを借用できないかを確認した。NGだったので翌日の参加者に連絡をとり、予備オールの確保と運搬を依頼し、まずは、翌日以降の周航継続を可能とした。破損しかかったオールは、まるで足にテーピングをするようにビニールテープでがんじがらめに固定し、応急処置ながら漕艇可能の状態に仕上げた。驚くべき迅速な行動に大いに刺激を受けた。
2回目は、第2日の難所、宇曽川沖を通過中に発生した風波に伴う避難行動とナックル艇破損トラブルである。
現場の水域を漕艇中に風波が強まり、危険と判断して上陸することとした。バウサイド側から来るうねりに対し、コックスは、波と平行にならないよう、45°の角度をもってトップを陸へと向ける。クルーは、波に負けないよう、足けりを強くし、艇を進めるが、ちっとも進まない。たかだか、40cm程度の波なのに、ナックルにとっては、非常に危険な波高であることを痛感するとともに、身に着けていたお守りに向かって、心の中で「守ってくれ〜」と叫んでいる自分がいた。
どうにか、砂浜に着岸できたが、艇が岸と平行になってしまい、速やかな上陸に失敗、あっという間に浸水してしまった。もう一方のクルーも、同様の状態になり浸水した。クルーは、みな無事であったが、水の入ってしまった艇を陸に引き上げるのには苦労した。それでも,クルーにけがはなく無事上陸できたことがなによりであった。

しかし、上陸時に、一方の艇のラダー付近に直径3cmほどの穴が開いてしまい、航行できなくなっていた。 この危機に、救援に来た陸上サポータのお一人が穴の開いた艇を見て、「修理できる」との発言。すぐさま、本日夜来る予定の方に連絡し、水中パテなどを購入し持ってくるように指示をだした。素早い判断、行動、そしてチームワーク。まったくもって驚くべき団結力と周航をやり遂げようという心意気に、熱いものを感じた。
サポートのみなさんは、水中パテ等が到着次第、補修へと出動していった。夜10時ころには終了させるという離れ業で、翌日の周航続行を可能とした。感謝の気持ちで一杯であった。

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9月24日12:30。瀬田漕艇倶楽部艇庫到着。およそ55時間の琵琶湖周航の旅は、何度か訪れた危機を克服し、一人の離脱者もなく、無事に完漕することができた。
瀬田ローのチームワークと参加したクルー全員の完漕への熱い思いが、この周航を成功させた大きな力となったことに、疑い余地はない。ボートを愛する熱い心を持つ方々がたくさんいることを感じた3日間であった。

この、貴重なイベントに、会員外にも関わらず、暖かく迎えてくださった瀬田漕艇倶楽部のみなさま、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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