ハードトレーニングは勝利を約束しない

原則を知らずして行うは暴。知って行うは良。知り、これを打ち破るは創への道なり。しかし間違いをおかすほとんどの場合では自分は原則を熟知しており、創への道を突走っていると信じているから始末が悪い。

凡人は何事も常識の範囲にとどめておくことが大切ということでしょうか。大勢を教える立場のコーチなら怖くて新しい挑戦などできなくなるが、挑戦を旨とするこのシリーズの看板も降ろす訳にはいきません。今回も気合いを入れて行きます。さらに毎回文中でヤメロ!!を必ず1度は叫ぶことにしてこれをトレードマークにします。ついでに次回の予告は「ナンセンス 国体」とこれまた超過激です。

スポーツは人格者を作るか

なに? 「ハードトレーニングは勝利を約束しない」やっぱりそうか! 明日からは無理をしないでマイペースでやろう。と、こんな風に先ず納得したら君は話にならないくらいアホで競技選手としては見込みがない。この先を読む必要もないし、競技ボート選手をヤメロ!!ボートは楽しみの範囲にしておくことを勧める。逆に楽しみに漕いでいる瀬田R.Cの大多数のメンバーからはそれなら私らはアホなのかと余計な気を廻されても困るが……。

私の言いたいことはそうではない。結論を先に言えば“トレーニング量”と“効果”は単純にどこまでいっても、いつも無限に比例関係にはならない。量をこなすだけで安心するなということである。

「ライバルより長くて苦しく、激しいトレーニングに耐え続ければ続ける程、いつかは向こうから勝利の女神が必ずやって来る。またはそうあるべきだ。 もし、勝てなくてもスポーツは好ましい性格を持った人間形成をしてくれる」以上が我国スポーツ界の伝統的な考え方であった。

正しいのならオリンピックに勝ちたいと思うとき眠らずに24時間トレーニングをしなければいけないのか?それができなければオリンピックに出ようと思ってはいけないのか...?ハードトレーニングを続けてきた選手は厳しい修行を積んだ僧とまではいかなくともみんな人格者になれるのか?そんな訳はないのは廻りをみればすぐに分かる。 考えもなくただ、ハードトレーニングをやるだけでは結果に対して何の保証もないのである。 脳ミソが筋肉に置き換わっただけに終わる結果となる。

何事にもやたらと挑戦的で粗暴な私のような人間か、反対にだれにでも無思想に従順でお前の人格はどこにあるんや?と言いたいような人間になってしまう。トレーニングを指導する者の責任も大きい。

トレーニング効果は種を越えられない

プロ選手のように1日中トレーニングに時間をさくことができないことが、自分が一流になれない主因だと思い込んだり、そのことを言い訳にしている選手がいる。

それなら一度やってみるがいい。単純でないことが直ぐに分かる。何の準備もない多くの場合では、オーバトレーニングに陥り、慢性疲労からスポーツ障害、病気となり、最悪は心の病にまで発展してしまうだろう。幸運にも、これに耐え抜いたやつは筋骨隆々となり、確かにフィットネスだけは向上するが、とうていチャンピオンには関係ない別の彼方へ行ってしまう。各個人のトレーニング受容量に見合ったメニューを課すことで量ではない。考え、工夫しながら行える余裕と動機を与えることが最も重要である。従って成功したチームやチャンピオンのトレーニングメニューを写し取ってきても少しは参考になる程度で大して役に立たないことがほとんどである。

ところが、我国では指導者不足が深刻である。仕方なく選手達はどこかのトレーニングメニューのコピーを手に入れて全国北から南まで猫も杓子も同じ事をやっている。恐ろしいことだ。これではほとんど病気になってしまう。

人間は人間である。いくら鍛えても馬のようなスタミナは獲得できないし、豹のようなスプリンターにはなれない。トレーニングによって種を越える効果をあげることは不可能なのである。

もっと身近ではホルモンの支配すらも越えられない。だからスポーツは男・女別々に競うルールになっている。(ドーピングでこれを越えたいと思う愚か者が後をたたないが)

話を元に戻すと、個人差も同じようにトレーニングによってカバーすることは至難なのである。

監督、指導の立場にある者としては効果をあげるために、以上の前提を認識して指導者養成→人材発掘→目標設定→適正なトレーニングを間違いなくやるべきである。そして、個々の選手の可能性を最大限に発掘する気配りを優先しなければならない。

これらの環境作りがない限り、競技スポーツ選手養成としては低次元をさまよい続けることになる。

豊かな感性を育てよう

指導者としては迷ったとき、とにかくたくさんの練習をやらせておくと取り合えず安心であるとの心理は確かにある。指導者の不安解消の手段としてあれもこれもとシゴかれた選手はたまらない。

スポーツは芸術のひとつと私は信じている。感性と創造性を大切にしないままでは決して一流になれない。同じような意味でボートのトレーニングは大自然のなかで楽しくやるべきで琵琶湖の方が数段戸田より良い条件だと思う。なのになぜみんな戸田で漕ぎたがるのか理解に苦しむ。また、日頃夜間のクラブハウスでエルゴしか漕がない私もローイングクラブ所属でなく、瀬田フィットネスクラブ所属と陰口を言われても反論できない。

米国の大学連盟組織NCAAでは1週間のトレーニング時間を規制している。20時間/週以上をボートのトレーニングのために費やしてはいけないのである。1日当たりにすると約3時間となる。これは準備と後始末のための時間を含んでいる。コーチングは26週間/年間以下とされ、トレーニングはしても良いがコーチングは許されない。さらに6月の全米大学選手権以降そのシーズンは大学ボート部としてまとまってトレーニングすることも禁じている。学生らしくアカデミックタイムを持つべきで、夏は友人と交流したり、勉学をして過ごす。ボート以外のことも大切にしてほしいということだろう。

その結果、米国の大学生ボートは弱くなったのか?今年の世界選手権の米国ナショナルチームは大学生選抜と言ってもよいクルーで金メダルをさらって行った。

振り返って、日本の大学生ボート部の生活はなんだろう。死にそうなくらい暑い日本の夏休みに、強くなるチャンスとかと言って艇庫、正に艇の倉庫に泊まり(合宿を)つづける。そしてトレーニングに明け暮れる。結果は?「春より夏のインカレでタイムは向上した」と言うがほんとうに強くなったのか明確な証明はなにもない。実は戸田の水温上昇の結果、水の密度低下による抵抗減少で1〜2艇身分はタイムが速くなるという物理学者の試算もあることをみんな知っているのだろうか。

あとひとつ、私の嫌いなトレーニングのやり方がある。受験勉強を連想させる欠点克服トレーニングである。欠点を努力で克服したら勝てるという考えのことである。こと、スポーツ(芸術)ではこの対策は間違っている。多くは失敗に終わる。欠点はその選手にとって一番不得意であり、適応性もないのである。それを集中的にやっても苦痛ばかりで結果は生まれない。逆に長所をどんどん鍛えて超一流まで高める。これが成功への道なのである。

欠点をいっぱい持っているがすべてをカバーするすばらしい得意技を持っているのがチャンピオンなのである。

ここで言っておくが、初心者は全範囲の基礎トレーニングは必要だ。ある程度域に達した人たちの話である。また、我が瀬田RCのオヤジクルーたちのトレーニングは確かに必要量にたいして不足している。もっとたくさん漕ごうぜ!!

続き

これについて、元外語大コーチの松井さんによる反論と、それに対する古川氏の回答がありました。

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