戸田で漕ぐこと

安井真美

大学でボートを始め、インカレ命の大学生だった私にとって『戸田=インカレ』であり、4回生のインカレが終わった瞬間“もう戸田で漕ぐことはないなぁ”と戸田とさよならしたつもりだったのに、今回突然のBig chanceがやってきました。大学卒業後Canadaに行き、向こうでもボートと共にとてもとても楽しい生活を送っていました。そして帰ってきた時にはもちろん全日本のエントリーは済み、久し振りに戸田を見たいなぁと応援として行くか行かないかを考えていました。

実はCanadaから帰ってきて日本の暑さ&いろんな現実に直面し、少しパワーダウン気味の毎日を送っていました。そんな時に「全日でる?」とメールを頂きました。私にとって初めての全日本で、しかもシングルで2000ということにきゃーと思いましたが迷わず「でるでるでる」とすぐにお返事しました。それからの2週間は、一生出ることのないと思ってた全日本!もう漕ぐことのないと思ってた戸田!と気分が高まり、練習&生活にもメリハリがつき、やっぱりボートはたくさんの幸せをくれるなーと実感していました。

戸田に着いてからもいろんな幸せがいっぱいで、初国艇宿泊、瀬田rowとして戸田にいる自分、今まで行ったことのなかった定食屋さんなど、大学時代とは全く違う戸田を味わえました。そしてゆみちゃん、はるちゃんの優勝。東レの優勝。本当におめでとうございます。

私自身の結果というと予選、敗復落ちでした。“Canadian girls kick ass”の気持ちを持ち、カナダのコーチが言っていた“Race upはダンスするように”、と頑張ったのですが、シングルで勝つことの難しさを大きく感じました。また敗復の時には2,5レーンが3,4レーンを押さえて準決へあがる事の厳しさを感じました。最終日の赤いじゅうたんと表彰式の音楽がとってもうらやましかったです。

私の中には、大学時代何ヶ月も前からcrewを組んで必死に練習して戸田を向えた自分と10日前に変更届を出して出れるようになった自分を比べ、こんなんで戸田で漕いでもいいんかな。。。という思いがありました。でも出てみて、本当によかったです。“試合に出てなんぼや”という意味がとってもわかった気がしました。最初で最後かもしれないシングル2000in戸田は大豊作でした。

チャンスをくださった皆様、大好きなアイリングスを貸して頂いた滋賀銀行の皆様、応援をしてくれたいっぱいの皆様、本当にありがとうございました。戸田はやっぱりとってもすごかったです。

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