波瀾の全日本選手権

守山勇気

全日本選手権。この大会には昨年もシングルスカルで出場して、あっさりとイチコロハイコロした苦い思い出があった。当時立命ボート部で4回生だったため、ほかの種目に出場していた後輩たちより先に終わってしまい情けない思いでいっぱいだった。高校でインターハイ2位の肩書きとともに大学へ入学したものの、負け続きで4年の月日を無駄にしたようでやるせなかった。しかしシングルスカルは出場クルー数もレベルも高く、そうおいそれと勝てるものではないということも痛感していた。そこで今年は少しでも多く試合をしたいと思っていて、シーズンに入り剛健コーチから全日本の話が出たとき真っ先にチームボートを志願した。そこでクォドのシートレースをすることになったのだが僅差ではあったものの負けてしまった。大学で負け続けたせいかちっとも悔しくない。悔しがらない自分を見てすっかり負け癖がついてしまったなぁとまた情けない思いをしたことを覚えている。

剛健コーチがたぶんシングルスカルで出てもらうと言っていたので「またシングルか。去年と同じ思いをしなきゃいいが・・・」と我ながらネガティブに考えていたちょうどそのころ今泉さんが入会された。そして剛健コーチから今泉さんとダブルで行こうと話を進めた。そのとき僕は今泉さんという人がどんな人かぜんぜん知らなかった。剛健コーチより年上と聞いたときはさすがに不安でいっぱいだった。しかし国体県予選や軽量級で若者に負けず頑張っているのを見聞きして一安心したし不安を一番吹き飛ばしたのはやはりダブルに乗ったときだった。今泉さんは僕の悪いところを指摘して直させるのはもちろん、いいところも伸ばしてくれた。おかげで僕はシングルに乗る以上にのびのびと漕げた。それから僕は今泉さんと乗るのが楽しみになったのだが、今泉さんは仕事が忙しく日曜日しか練習に来られなかった。おかげで戸田へ出発するまでに練習した回数はたったの4回、しかも1回は関西学生ボート選手権に僕が出たため軽くしか乗っていないから実質3回。後はそれぞれで練習という状態だった。体力的な心配よりも「合わせて漕ぐ」という面で練習の希薄さがでないかという心配があった。しかしそこは百戦錬磨の今泉さんを信じて僕は僕のやれることをやればいいんだと開き直った。そう思えば大会が待ち遠しいくらいに楽しみになっていた。戸田へ移動した後も練習に余念が無かったが、レース前日の練習は緊張していたのかうまくいかなかった。「レースの日の早朝に落ち着いて練習すれば大丈夫だよ。」と今泉さんに言われ、気持ちを切り替えたその日の夜運命の告知をされるのだった。そのとき僕は国艇のベッドで音楽を聴きながらくつろいでいたのだが、クルー変更の書類が出していなかったので変更する前に登録した種目で出なければならないと告げられた。つまり僕はレース直前でシングルになったのだ。こうしてわずか10回程度練習したダブルは幻と消えたのだった。

ここでぐちゃぐちゃ何かを言ってもそれで何かが改善されるわけではなかった。気が重かったから弱音の一つ二つ出るところだったが、黙り込んでしまうとよけいに沈み込みそうだったので仲間とそれとなく楽しい話題をしながら気持ちを落ち着かせていた。(佐々木さんが頑張って励ましてくれました。感謝です。ちょっと見当違いなことを言っていたけどご愛嬌。)しかしその夜はなかなか寝付けなかった。いろいろ考えすぎていた。結局「頑張るしかしょうがねぇなあ。」という結論だった。それは今泉さんが言っていたことだがそのとおりだと思った。時間はかかったが開き直ることはできた。夜が明け朝5時に眠気を振り払うように艇のところまで行き早速リギングをして乗った。迷いは無かった。一心不乱にするべきことをしてレースの時間を待った。その日のコンディションは暑いものの風も弱く良好だった。そこで僕はスタートから抜け出てぐいぐいレースを引っ張った。僕らしいレース展開となった。そのままじりじり引き離し続けた。ラストクオーターでケアレスミスから艇速を鈍らせてしまったものの余裕を持って予選を通過できた。レース後どっと安堵感が来た。四の五の考えるよりやってみるものだと思った。その日終わってみれば予選通過したのは僕だけだった。前日あれだけごちゃごちゃ考えていたのを思うと、あたりがよかったのもあったがなんだか複雑な気分だった。敗復の日はレースが無いので応援して回った。中でも気になったのはやはり予選レース後クルー崩壊状態だった男子クォドだったが、とりあえず準決勝にこまを進めていてほっとした。他人のことを気にしたのはそこまでで、じきに次の自分のレースが気になりだした。その日の夕方気合を入れて練習した。準決勝の日は朝から台風の影響で風が回り時おり突風が吹いているいやなコンディションでベストパフォーマンスといくには少々難しかった。いつものようにスタートは飛び出したもののすぐに一艇、500m過ぎにまた一艇とずるずる抜かれ突風にも翻弄されタイムも8分を超えいいところが無かった。それでもそのとき自分にできることはした。最後までレースを捨てずに少しでも艇を速く進めることに集中し続けられたからそう思える。最終日まで残れなかったのは悔しかったが去年よりも大きく前進したように思えるしハプニングにもめげすによく頑張ったと思えたから気持ちはすっきりしていた。

その日の午後から応援に回ったが男子クォドが「艇の故障か?」と思うような惨敗をして驚いた。レース直後は誰も口を利かなかった。その後島田さんは剛健さんと、山本さんは僕とレースの話をした。話をすることで頭も中を整理しているように見えた。最終日の朝に剛健コーチと僕はチームボートで確実に実力を出す方法などを選手の話からあれこれ考えていたが、そんな話を吹き飛ばすように最終レースは彼らの実力に見合うレースをして見せてくれた。なんだか自分のことのようにうれしかった。しかし同時に勝って終われることがとてもうらやましかった。もちろん優勝した女子ダブルもうらやましかったが。今度の大会で得られたものは多かったが形に残るものは無かった。さらに貪欲に上を目指して努力していこうと強く思う。

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