全日本選手権の涙

嶋田 宏之

全日本選手権試合会場となる戸田に到着したのは火曜日の夜10時前。瀬田ローの先発組が到着していたので国立艇庫へのチェックイン手続きもなく、すんなり中に入ることができた。その後も11時前には疲れのためか深い眠りについていた。

翌日、早朝練習した後、近くの本屋めぐりへ出かけた。仕事や練習のせいでゆっくり本を読むこともできていなかったので、以前から楽しみにしていたのだ。ときおり駅に向かうサラリーマン風の人とすれ違うたびに、幸せを感じずにはいられない。本屋に着くと、開店時間と重なっていたためか、貸切状態だった。さほど大きくない本屋ではあるが、自分の心を魅了する本が数冊見つかった。いざ、「どれを買おうかな?」と考えると、見栄っ張りな自分は「うわっ、あいつあんな本読んでるよ。」と指差されることを想像してしまう。思案の結果、それらしい本を選択した。しかも、念には念を入れて、ブックカバーまでお願いしてしまった自分は、自意識過剰な人間だ。

夜の7時には試合前日に行われる監督主将会議に出てくれた黄瀬後輩が、試合の組み合わせと共に帰ってきた。早稲田大学、中央大学等と当たっているそうだが、とりあえず自分達のできることを一つ一つ押さえていけば問題ないと思ったので、なんと言うこともなく、短い夜をのんびり楽しんだ(消灯10時)。

木曜日。いよいよ試合が始まった。予選は難なく勝ちあがった。しかし、逆風が収まっていたと思われる最終組と比べると、タイムが良くなかった。全体で7番タイム。相方の内田も滋賀にいる坂本コーチも「風の影響だ。問題ない。」と言う。当然、自分も頭では解っていたが心では理解できない。風の影響があろうとなかろうと、タイムで負けるのは悔しいものだ。

金曜日。敗者復活戦のみ。瀬田ローからは石川・駒村ペアと、黄瀬後輩が敗者復活に回っていた。若い石川・駒村は仕方ないとしても、ベテランの黄瀬後輩は・・・。とりあえず今後調子を立て直してくれるでしょう。

土曜日。思えばこの夢のような日常もあと二日で現実へ・・・。準決勝。対戦相手は予選で全体三番タイムを叩き出していた日本大学。とりあえず、彼らをねじ伏せて、予選の汚名を返上することを心に決めていた。いざ試合が始まると、お約束で「あっ?」という間に出遅れてしまった。500m通過時点で最下位。自分にとってはいつものことなので「まだ1500mもあるし、大丈夫だろう。」とタカをくくっていた。1000m通過時点でもかなり差があったようだが、1300m付近で『2枚(レート)上げていこう』の掛声を入れ、一気に差を縮め、1700m付近で追い抜き、決勝進出を確実なものにした。「ぼちぼちの出来だ」と自分は思った。がしかし、そうでもなかった人がごく近くにいた。相方の内田と、試合会場に到着していた坂本コーチだ。あまりこういう試合展開を経験していない内田と、何が起こるか解らないチームボートの恐ろしさを知っている坂本コーチは、かなり心配していたそうだ。・・・結果オーライということで。

日曜日。今日で夢の世界もさようなら。明日から仕事が・・・。決勝。相手は中部電力。間違いなく中部電力に勝つことが出来れば優勝できる。中部電力に勝てないと優勝できない。スタート直前、左前方に目をやると、テレビカメラを搭載したモーターが待機していた。しかも、そのカメラがこちらを向いている気がした。「あっ。テレビ放送種目だった。」大事なことを思い出した。さっきまで帽子をかぶっていたので、髪の毛がべったりとしていないか少し気になる。

さて、レースが始まると、またまたお約束で500mは最下位。が、思っていたほど離されていない。まだ視界に入っているので、いつもより早めのスパートを入れれば充分射程圏内だ。1000m付近で恒例のイベント『2枚上げていこう』を入れた。あっという間に中部電力と瀬田ローの一騎打ちになり、その差もじりじりと縮まり始めた。「いける!」。1500mを過ぎた地点で『・・・!』中部電力が何かを叫んだ。それに反応し、こちらも再び『2枚上げていこう!』。・・・!・・・?!・・・!!・・・、敗北。

もっと最初の500mで耐えていたら、もっとラストスパートのタイミングが早ければ、もっとテクニックを磨いていれば、もっと筋力をつけていたら・・・。などと「たられば」を言っても仕方がない。こちらが大きなミスをしたわけではなく、今できる全ての力を出し切った感はあった。負けたことは悔しいが、まだまだ強くなれる余地はある。

全日本選手権では各種目の上位3チームが『威風堂々』の曲が流れる中、観客の前でウイニングローを漕ぐことになっている。自分達は準優勝ダブルとしてウイニングローを漕いだ。こういう場面でこそ自分は涙を流すのだろうと思っていた。しかし、意外と冷静なもので、むしろ「ボリュームが低いせいか、歓声にかき消されているのか、あまり良く曲が聞こえない」と、どうでも良いことを考えながら漕いでいた。

表彰台に上がるため、船台に艇をよせた。小雨の降る決して良いとはいえない天気であったが、けっこう多くの観客がいた。ふと、顔を上げると、冷静さを装っていた自分の目頭が熱くなってきた。今までの苦しい練習や様々な苦悩がよみがえり、悲しさがこみ上がってきた。そこには応援してくれていた仲間たちと、坂本コーチが立っていたのだ。

純粋に彼らと共に優勝の瞬間を味わいたかった。

「ごめんなさい。」

自意識過剰な自分は、目から流れる涙を必死にこらえていた。

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