このレース、5年前デトロイト出向中に観に行ったときから「いつか漕ぎたい」と、かねがね思っていた。このときは所属していたミシガンのAnn Arbor RC女子エイトが抽選で出場できることになったのと、ロードアイランドのナラガンセットRCから堀内哲さんがコックスとして出場され、日本から瀬田RCの古川さん、上原さんも観に来るということで、金曜の夜から片道1200kmを一人で運転して行き、日曜の真夜中に戻るという強行日程だった。
今回も木曜に出発して月曜夜に帰国するというハードな日程で、観光などしている時間はない。体力に自信がないとか、金がかかるとか、休みが取りにくいとか、カミさんが許さないとか、愛人が連れて行けとうるさく言うからとか、人それぞれ断る理由はいくらでも出てくるだろうが、そんなことは小さなことだ。2年前、一人でスコットランドゴルフ三昧&地元ローイングクラブを訪ねる旅をしたが、私はどうしても行きたい、と思っているところへいけるチャンスが来れば、よほどのことがない限り行くという方針を固めているので決断は早いのだ。20万ぐらいかかることは承知していたが、行くことによって得られる経験に較べれば、(仮にそれが苦い経験になったとしても)安いものだ。リタイアしてからゆっくりと・・・・などと悠長なことを言っていられる時代ではないし、そんな考えでは結局何もできずに終わるに違いない。
去年、大和証券のCM ※1の中で、米国コーネル大学の心理学教授がこう言っていた。
Lasting regrets result from the things we fail to do, not those we do.
(人間は行動したことによる後悔よりも、行動しなかったことによる後悔が深く残る)
大学の後輩の渡部というのに声をかけてますから1日、2日待ってやってください・・という大江さんのメールが来たその日のうちに、今回の遠征取りまとめ役のT氏から「クルー決定!!」 というメールが来たので、「こりゃもう断れんわい」と、とりあえず
「ボートで足を引っ張る存在になることはこの世で最も嫌いなことの一つなので、今から2ヶ月間、できるだけのことをやります」 と宣言して連絡のあった翌日から、早速エルゴトレーニングを再開した。
実はその2日前にトライしたのだが、7〜8分経過したところで挫折していたので、今回は意地でも最後まで引くという固い決意をしていた。目標は5200m(1’55”0/500m)。4年前なら楽に30分以上引いていたペースだから楽勝・・・という思いと、今年の1月、2000mのエルゴ大会でしんどくて倒れそうになった屈辱の記録(7分39秒5)でのペースを20分かぁ・・・という思いが交錯しながら、誰もいない艇庫でスタート。10分経過時点で2625m、そのあと徐々にペースが落ちて結果は5171m(1’56”0/500m)。目標未達なのは不満だったが、トレーニング再開時の4920mから2ヶ月でこれなら、46歳のオッサンとしてはまあまあか。帰宅して、世界選手権だ、国体だと飛び回って練習不足の古川さんに、とりあえず結果をメールしてプレッシャーをかけておいた。
あっという間にお友達。日本では絶対しないのに、外国に出ると、気軽に女性に話しかけてしまう自分がよくわからない。10時から1時間半だけの練習。ということだったが、早めに行けばもう少し長く練習できるかもしれない・・・というT氏の意見で8時半頃にはハーバード艇庫へ。今回、借艇の段取りをしてくれた、ハーバード大学軽量級クルーコーチのCharleyに挨拶し、お礼に太田川BC 森川さん製作のミニチュアオールキーホルダーをプレゼント。艇とオールを確認し、更衣室のある2Fに上がると、朝の練習を終えた学生たちがシャワーを浴び、エルゴが30台ぐらい並べられたフロアを横切って、ほとんどスッポンポンのまま更衣室に入っていく。その前に私は、外の簡易トイレでクソをしてきたのだが、誰の小便のしずくが付いたかわからないようなその靴で、土足のまま同じフロアを歩くのに強い抵抗を感じ、こんなところでやはり日本人なのだなと思うのである。更衣室は日本の大学艇庫とかわらず、汗で濡れた靴下やローイングスーツが脱ぎ散らかされており、瀬田RCなら古川さんがまとめてかごに放り込み、 「1週間以内に取りに来なければ全部廃却するぞ!!」 とやる状況だった。学生が掃除をしている気配はなく、たぶん金を払って掃除屋さんにやってもらうんだろうなあ。
コースを1往復すると、今年初めてオールを握った私の右手には下手マメが沢山できていた上、艇のバランスの問題もあるのか、右の腰から背中にかけて筋肉痛がひどくなりつつあった。私は明日に備えてこれ以上漕ぎたくなかったので、もう半往復分ぐらい漕いでおこうとT氏が提案し、艇庫前を通過しようとしたとき、同じ艇を使うドイツクルーが待っているから上がってくれ!とCharleyが言ってくれて、心底ほっとした。
ハーバード大学周辺でビールとクラムチャウダー、よくわからない肉料理を食って午後の練習まで解散 私はゴール付近のトレーラー置き場でAnn Arbor RC のメンバーと5年ぶりの再会。7,8人に取り囲まれて、やせたんじゃないか?日本でも漕いでいるのか? 今回は何に出るんだ?松坂は高すぎる買い物だったぞ!またミシガンに来る話はないのか? 家族は来てないのか? などと矢継ぎ早に話しかけられ、応答するのに四苦八苦。この数年、会社での英会話クラスを継続していたが、まだまだ英語能力の足りなさを痛感させられた。時差ぼけと昼飯時のビールのせいか、強烈な睡魔に襲われ、催し物会場のテントの中にある休憩所で昼寝。正直まったく気は進まなかったが15時過ぎから、7人漕ぎで乗艇。これ以上漕ぐと体がバラバラになりそうだった。ホテルで風呂にゆっくり浸かり、ろくろく飯も食わず早々に寝てしまった。
結果は2クルーに抜かれ、1クルーを抜いて45クルー中の31位。最後の急カーブ、Charles Eriot 橋で1クルーに追いつかれ、最短のINコースを突かれてしまったのは残念だったが、前日に初めて顔合わせし、ちょっと漕いだだけで出たクルーとしては十分な成績だ。しかしシード権が得られる上位50%以内とは1分近い差がある。このレース、海外からのエントリーに対しては門戸を開いているから、申し込めば来年も出られるかもしれないが、エルゴでシートレースをするぐらいのことはやらないと、シード権を取るのは難しいだろう。私は当初、コンスタントレートは28ぐらいで、周囲の景色や観客を見ながら「俺は今Head of the Charlesを漕いでるぞ」・・・と感慨にふけるぐらいの余裕を持って漕ぎ、最後の橋を過ぎてからレートを上げてゴール後にへたり込むようなレースをしたかった。しかしふたを開ければ、スタート直後が34、その後も後ろの人が皆頑張るので、ラストスパートに入るまでずっと31〜32をキープさせられ、結局.ラスト1mileは「ゴールはまだか」と思い続けながらへろへろになって漕ぐレースになってしまった。
Oh! Beautiful!!
Charley コーチはミニチュアオールを見てそう言った。
左からW、Charley、T氏
ボートマンは楽になるようなことは「誰かに言い出して欲しい」と心から願っていても、自分から言い出すことは絶対したがらない。それは歳をとっても、世代が違っても一緒なのだということを確認できたレースでもあった。・・・・レートを落として欲しいと思った人が絶対いたはずなのだが・・・・・
ハーバード艇庫に上がった後、記念撮影をするクルーの顔は皆、晴れ晴れとしていたが、客観的に眺めてよくまあ、このおじさん達あのレートで漕ぎ続けたもんだなと、しばし満足感に浸っていた。
2007,10,27 W
※1 ある少年が、良く行く雑貨屋の可愛い娘に声をかけられず、想い悩んでいるうちに彼女が引っ越してしまい、がっかりしている場面を客観的に見ていた、ギロビッチ博士が言うセリフ。