スポーツNPO−脆弱な日本のスポーツ組織−

ボート好きの仲間15人が漕艇クラブを結成したのはもう25年も前である。一人で漕ぐより、大勢の方が楽しいと言うのが理由であった。クラブの名前は以前にあった先輩クラブの名前をそのまま頂戴した。瀬田川には昔より学校や企業また、そのOB達の集まり等のいろいろな漕艇クラブがある。

我々のような形態のクラブは私の知るかぎりでは四代目だった。なぜ同じ地域で四代も漕艇クラブが生まれて消えたのかを先ず、自説を交えて解説する。

民間地域クラブは営利団体ではないからリーダとメンバー間には企業組織内の雇用、非雇用者関係からうまれる意志伝達や統率力は期待できない。また学校クラブのような先輩から後輩への強制力も希薄である。 多くの場合は限られたリーダ達の並はずれた情熱、行動力、財力がクラブの活動の総てを支えている。他のメンバーはほとんど運営には無関心でも支障はない。しかし、人は必ず歳をとる。リーダの人生と共にクラブ運営も次第に活力を失っていく。もともと組織的運営や後継者育成はしていなかったからクラブは衰退し、最後は消滅する。しばらくして、別のリーダが出現して新しいクラブが生まれ、活動を始める。これをこの地域で四世代繰り返してきた。このような解釈をしてもそんなに外れていないように思う。

もっとも、どんなに完璧と思える組織や運営システムを構築しても時代の進化とともに陳腐化してしまう。人の作った組織の寿命は三十年くらいとどこかで聞いたことがある。現代はもっと環境変化の速度が早いだろう。それらを考え合わせると25年目を迎える我々は客観的にはかなり難しい時期に差しかかっているとの認識でいた。

そんな折りにNPO(特定非営利活動)法人の制度ができた。法人化によって新たな活力を得ることを期待して法人化への検討をはじめた。補助金ねらいかと陰口も聞こえた。正直、当初はそんな考えの部分もあった。しかし、クラブの指導者達の目標は明確で自分のための趣味、娯楽の集まりから社会的役割を担う団体になることにあった。具体的にはクラブの変身ではなく、過去との決別をして、ここで自発的に解散する。次に全く別人のNPO法人を結成することで新しい生命を得ることである。そして法人化がスタートして一年が経過した。ところが人材と資産を受け継いでいることが良きにも悪しきにも影響をあたえてしまっている。人が同じで組織と理念だけが生まれ代わるのは容易ではないことを痛感させられて いる。

スポーツ分野のNPOは先駆者が少ない、そして始まりが同好者団体であったことが運営をもたもたさせる時もある。しかし、官製の地域総合スポーツクラブ創設運動に圧倒されることなく永年積み上げてきたボート競技のプロ集団としてのノウハウを社会に還元したい。この瀬田川の第五代目のクラブに暖かい支援をお願いしたい。

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この記事は、2002-3-29に京都新聞に掲載されました。