E:えり K,O:定点観測 J:砂利採取 T:鉄の檻(紅白)
いよいよ決行の日が来た。4時起床。夕べから少し奇妙な気合いが入っている。今朝はさらに、普段とは違う緊張を感じる。湖上通勤のエキスパート古川さんの足手まとい※1になってはいけない。いつもの朝のコーヒー一杯。新聞に目を通す。ペットボトルを2本と、昨夜妻が準備しておいてくれたおにぎり3つを袋に入れて家を出る※2。
予定通り、5:45艇庫着。古川さんも、自転車にてほぼ同時に到着。天候はくもりで、微風。コンディションは良さそうだ。古川さんが、ホワイトボードに得意のチャートで、目的地 堅田・桑野造船までの航路図を示された。途中の「えり」、定点観測施設、砂利船などの位置を頭にインプットした。ペットボトル2本、タオル、上陸用のゴム草履(キティちゃんのではない)を積む。今日は、橙色の浮き輪を積むのも忘れなかった。
6:00出航 すぐに近江大橋をくぐる。陸上では風は緩くても、湖上に出ると、波のあることも多いが、今朝は大丈夫そうだ。2人で短漕30本のスクラッチで行くことにした。古川さんがはじめに短漕に入り、リードして30本を終える。終わったら、前方から「よしっ」という声が聞こえる。その声を合図に、今度は私が30本を強く漕ぎ、抜き返す。この繰り返しだ。竹やブイなどの前方の障害物を古川さんに教えてもらう。
途中、中間点の砂利採取船を過ぎたあたりで給水休憩。このあと少し進路を東寄りにとる。遠くこんもり 緑に見える天神川河口がゴールだ。雄琴沖水質定点観測施設を右に見上げてゴールするのだが、ただ、ゴール手前には「えり」が進路の邪魔をしている。前回は行きも帰りも、先端を大きく迂回したが、今回は岸から延びている部分をあっけなく横断した※3。古川さんは会社脇に艇を上げるべく、天神川水路に入って行かれた。私は、体力・気力・湖面の状況を見て、折り返し漕いで帰ることを決意。前回2回も沈した憎き桑野船台を避けて、松林の浜に艇を着けた。
往路が終わった。ひからびた大量の水草の上に艇を置き、陸路で桑野に向かう。古川さんはすでに例の「板きれ船台」から、なんなく一人で艇を上げていた。さすが、自社製船台だ。社長は、丁重に迎えられるらしい。時刻は7:20。それでも、古川さんに言わせると、所要時間75分は標準だという。桑野造船事務所でミルクコーヒーをいただき、小休憩をとった後、7:50再び艇を浮かべる。 帰路は、体力・気力とも充実。湖面も往路同様良好。途中、緑ブイを1回たたいたが、その他は大きなトラブルはなく、9:00瀬田ロー船台帰着。所用時間70分。ノンストップ、航路はほぼ直進でとれたと思う。古川さんの62分という記録には及ばないが、前回のリベンジができた。うれしい。桑野を出航してすぐ、まっすぐ航跡を残して、岸から遠ざかるときの残像がよみがえる。瀬田川では味わえない、何とも言えぬ開放感と爽快感。病みつきになるかも知れない。
さて、リベンジ成りて思うこと… ※4スカル遠漕三ヶ条。
8月13日(日)くもりのち晴れ
この日は、瀬田漕艇倶楽部創設30周年プレ記念事業とやらで、ナックルによる南湖周航の日。私は先日、2回目の桑野造船往復遠漕でのリベンジに自信を得て、スカルで同行することにした。前回の装備に加えて、SOS発信用に笛※5を持っていくことにした。今回は、午前中いっぱいかかる計画なので、日除け対策もより強固にした。
予定より1時間半遅れの7時半、ナックル2杯とともに出航。琵琶湖大橋を目指す。漕ぎ始めてすぐ、ナックルとはペースが合わないことに気付く。こちらの方が断然早い。もっとも、ナックルの方は、もうそれはそれはゆったりローイングで、給水休憩も5人だから長い。前回同様、風波はないが、不規則なモーターの波は前回よりひどい。こういうときは、ある程度の水中のプレッシャーを保ちながら漕ぎ続けていると、そのうち、波の揺れに体が慣れてきて、快調になってくる。併漕で行くのがこちらとしては安心なのだが、無理に合わせず、マイペースで行くことにした。
この2週間でずいぶんと水草が増えていた※6。また、日曜日、しかもお盆休みということだろう。釣り船の数が半端な数ではない。まだ、堅田の岸にはずいぶん遠いのに、数十艘の釣り船が浮かんでいる。浮かんでいるだけならまだしも、右に左に全速力で走り出す。閉口を通り越して、恐怖だ※7。一度、右手(左舷)から、壁のような波をかぶった。いまだに、どうしてこんな大波が来たのかわからない。少なくとも数mの右手をモーターが通ったとしか考えられない。左に注意を向けていて気付かなかったのだろうか。
約1時間半かかって琵琶湖大橋北すぐ、「道の駅 米プラザ」の浜に到着。陸路組が暖かく迎えてくれた。少し遅れてナックル2艘も到着。
30分の休憩の後、帰路につく。ところが、帰路に向けて漕ぎ始めてすぐ、右手に軽くけいれんを感じた。無理をして大事を起こしてはいけないと、帰路は断念しようと再び岸に戻る。誰かに代わってもらうとするならば、中君が適任と思い、水の上から声をかけた。「中君、僕の代わりに漕いで帰ってくれないか。」中君はそれには答えなかったが、目はうつろ、口はポカンと開き、手に持っていたペットボトルがするりと滑り落ちたのが見えた。中君に交代してもらうのはあきらめて、桑野に上げることにした。帰路の陸組に、桑野造船に回ってもらうことをお願いして、再び沖に向かい琵琶湖大橋をくぐった。するとなんとか漕げそうだ。ナックルも一緒にいることだし、やっぱり漕ごうと強く決意した。
帰路は、まず、風力発電の烏丸半島を目指し、そのあと東岸沿いに南下、旧草津川河口を右手に回る航路を頭に描いた。今度もはじめはナックルと併漕したが、すぐに離れた。往路は幸い曇ったままだったが、帰路は完全に晴れ上がった。時々起こる腕のけいれんにおびえつつ、体力をセーブしながら、ただひとり黙々と漕いだ。
すると、はまった。つまり、転覆した。落ちるときは何の前触れもない。左手に落水したのだが、落ちてから見ると左のオールがクラッチから外れている。抵抗しようもない。当たり前だが、落ちたのはオールのない側で、そちらから舷につかまっていると、艇は傾いて不安定でしょうがない。あれほどいた釣り船も、また、今回の遠漕では同志のはずのナックルも、影ひとつ見えない※8。一瞬弱気にもなったが、艇をひっくり返すことにした。つかまりやすくなったので、浮き輪を膨らませた。浮き輪に体を入れるといい具合だ。少し冷静になった。艇を元に戻し、左のオールを装着し、這い上がった。はじめて這い上がったのだが、わけなく這い上がれた※9。
なぜ、オールが外れたのか。要するにピンの締め付けが甘かったのだが、落ちたところはぼうぼうの水草地帯。水草にブレードを引っかけた拍子に、締め付けの甘いクラッチが開いて、オールが外れたのだ。リガーには、無惨にも水草が大量にからまっていた。それを除去し、艇内の水は、あらかじめ積んでおいた半割りのペットボトルで汲み出した。給水用のペットボトルが投げ出されて浮かんでいたのできっちり回収した。
水草の中でそれなりにもがいたので、また新たな筋肉けいれんがおこるかと心配したが、ゆっくり漕ぐのには支障はなかった。せっかく膨らませた浮き輪の空気を抜くのはなんとなくもったいない気がしたので、そのままレールの後ろに乗せておいた。すると途中で力無くしぼんできた。しぼんだ浮き輪は、今度はストレッチャーの前に詰め込んで帰還した。 鵜瀬さんと中君が迎えてくれた。帰還後、地図で見ると帰路約半分のところ、草津志那沖だった。岸からは1kmくらいはあっただろう。いい経験をした※10。帰宅してテレビを見ると、今日一日の水の事故を報じていた。
注釈