コーチは選手の成れの果てか

久々の登場です。今回のテーマも特別に目新しいものではありません。我国のボートコーチの地位は依然として低く、そのためボート協会や日本体育協会のコーチ養成事業人気は高くなく、希望者を集めるのに苦労をしているのが現実なのです。

特別に時間とお金をかけなくともコーチくらいはできるということなのでしょうか。しかし、大げさに言えば日本のボートをつまらないスポーツにするのか、どんどん発展させるかはコーチに負うところが大きいと考えています。選手としての技能と経験だけでは不足であることは確かです。”名選手名監督にあらず”を私風にアレンジしてこのテーマとしました。

選手とコーチは別の能力が求められる

日本でよく聞くのは「俺も歳だしそろそろ引退して後輩のコーチでもやるかな」である。ヤメロ!! ふざけないでほしい。選手として役にたたなくなった先輩や、何年間もボートから離れていたOBが、ある日突然コーチだと言って艇庫に現れる。これは現役選手としては最悪の事態である。本人は得意満面で早速指導をはじめる。選手の迷惑など気付くような人ではない。こんな事例が実に多いのではなかろうか。コーチングをする人をコーチと言うのではなく、その訓練を終えて一定の資質を備えた人をコーチと呼ぶべきだ。指導をはじめて一定の期間とか公的認定を受けるまではアドバイザーとかスタッフとかコーチ補助者とか何か良い言葉をみつけてそう呼ぶことにしてはどうだろうか。もちろん、協会関係者は良いコーチを育てるための養成システムを準備することが先決ではある。

甘えを生むOBコーチ制度

自分の出身チームのコーチをするいわゆるOBコーチは、チームの内情に詳しいのでスムーズなコーチ就任となる。しかし、デメリットもたくさんある。

その結果プロ意識のかけらもないお互い無責任で曖昧な存在になり下がる。コーチを目指すなら自分の会社とか、大学の出身属性を離れたところでコーチをスタートすることを薦めたい。日本の大学チームはお互いにコーチを交換してみてはどうだろうか、面白いと思う。

コーチは選手とは別の能力が求められる

かつては名ボート選手であっても、それはコーチとしての必要な能力と経験の一部を補完するに過ぎない。自分という一人の素材を相手に頑張ってきたのが、多様な個性と能力を持った大勢の選手を相手に、指導の方向をみつけるのはそんなにたやすいことではない。ほとんど自分の経験は、役に立たないと思ってとりかかった方がよいくらいだ。多くのレースで、成功した選手は勝負の勘所を知っていて、これが選手の信頼を得ることはある。カリスマ性は名指導者にとって重要な要素ではある。まさに料理と同じで素材を活かして中華風にするか和風にするのか、どんなスパイスを効かすのか工夫が求められる。素材の可能性を引き出すことが、成功するかどうかを決める。

個性あふれるコーチになれ

キャッチはどう入れるか、体はどのように使うか。運動生理的にかなった合理的なトレーニングはどうあるべきなのか。このような知識はコーチとして備えられるべき最低限のものであって、充分条件ではない。

例えば、ストロークのはじまりは脚が主役であるべきだとぱかり、誰にでも同じ表現で求めつづけた結果、お尻逃げ漕ぎクルーになっていても気付かない。上体から行けと指導した方が良い結果を生むことだって実に多いのである。

また、我国ではキャッチを強く求め過ぎるあまり、漕ぎ入れるキャッチのやり方が主流となり、推進効率を著しく落としているチームがなんと多いことか。

要するにブーレードで水を押し、艇をすすめているか否かを実質的に観察できる眼力がいるのだ。この観察力が次への指導ポイントを間違いなく選択させるのだ。教科書の棒読みコーチなど要らない。

最後にコーチは選手に正しいローイングへと導ける能力プラス、個性とか特技を持たなくてはいけないと強く思う。スポーツ心理学に詳しいコーチは、激しい長期トレーニングにおいては心強い存在となる。正確なデータ管理のためには、パソコンや統計学にたけた人がほしい。物理学的な艇の測定ができたり、冷静に艇の挙動を理解できるコーチは、多くの誤りを気付かせることができる。もちろん運動生理学の専門家は重宝である。その様な高いレベルの専門知識を、別途に持ったコーチが複数人集まって協力しながらチーム作りができるなら、どんな強くすばらしいチームができるだろうかと、考えてみただけでも楽しい。海外では実現しているクラブも多いのだからそれを我々も目指すべきだろう。

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